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「イエスとつながる」 ヨハネによる福音書15章1~5節

「イエスとつながる」 ヨハネによる福音書15章1~5節

洗礼を受けてすぐの頃、「ぶどうの木」のたとえは、私がとても好きな聖句でした。しかし、その頃は、木の「幹」がイエスさまで私たちが「枝」という、この関係、感じ、が何ともいい感じがしていただけでした。実物の、ぶどうの木を知らなかったのです。イメージは、もっぱらテレビで放映されていた『日立』の大きな木でした。

九州の宮田教会に赴任してから、ぶどうの木をよく見かけるようになりました。近隣の町々がぶどうの産地だったからです。きわめつけは、岡垣町というところのワイナリーを兼ねたレストランに行ったときでした。開放的な店内にはちょうど藤棚のようにぶどうの木が茂っていました。天井を、所狭しと縦横無尽に走る枝と対照的に、何ともみすぼらしい幹が、申し訳なさそうに足元から天井に伸びていました。私の、それまでの「ぶどうの木」の印象が根底から覆されました。

よく伸びた枝のところどころには、おいしそうな実がたわわに実っていました。目に入ってくる景色は枝と葉と実の美しい姿でした。幹はまるで黒子のように、弱々しく、パッとしない感じでした。しかしその幹が枝を支え、養分を送ることによって、豊かな実が実っているのです。レバノン杉のような大木の立派な幹ではなくて、このぶどうの木の幹を思い浮かべられて、イエスさまはぶどうの木のたとえ話をされたのだと思わされました。

私たちは、生まれてから今日までいろいろな人と出会い、つながって生きてきました。人とつながることが、生きることそのものだとも言えます。家族であったり、地縁、血縁、またさまざまな友人たちの存在があります。その中で最も大切なイエスさまとつながることによって、私たちは実を結ぶことができるのです。恐れ多いことですが、神さまが農夫として私たちの手入れをして下さり、いよいよ豊かに身を結ぶようにしてくださるのです。

復活の主と出会い、信仰を新たにされた私たちは、それぞれの信仰の歩みを全うしていくため、日々、聖書に親しみ、祈ることによってイエスさまとつながり、それぞれの実を豊かに結んで行く者でありたいと思います。

2017年4月30日 復活節第3主日 笹井健匡牧師

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