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「湖上のイエス」 マタイによる福音書14章33節

 今日の聖書は、見出しの下に記されていますように、マルコとヨハネの福音書にも同じような内容が記されています。両方ともいわゆる5千人の給食の奇跡の直後に記されています。
 弟子たちは相当疲れていたのではないかと思います。もともと休むために人里離れたところに行った(マルコ6:31)のですが、休むどころか、5千人もの給食の業をなしたのです。それで、イエスさまは強いて弟子たちを先に行かせ、ご自身で群衆を解散させられたのです。
 逆風に悩む弟子たちに、あっと驚くことが起きます。陸に残っておられたはずのイエスさまが、何と、湖の上を歩いて近づいて来られたのです。それだけでもびっくり仰天ですが、マタイでは何とペトロまで湖の上を歩こうとしました。どうしてマタイはこんなことを記したのでしょうか。…中略…。
 船の位置を見ると、マタイが奇跡のすごさを強調していないことがよく分かります。マルコでは「湖の真ん中」(6:47)、ヨハネは陸から「二十五ないし三十スタディオン」つまり数百メートルにしています。マタイはおそらく奇跡のすごさではなく、ペトロに関することを証したかったのではないかと思います。
 湖上を歩くだけでも信じられないことですが、もはやイエスさまは湖上に立っておられます。そのイエスさまに対してペトロは、自分も水の上を歩きイエスさまの方へ行かせてほしいと願い、途中まで湖上を歩くことができました。最初、イエスさましか見えていなかったペトロですが、おりからの逆風に気づき、怖くなり、沈みかけたのです。
 ペトロの信仰はイコール、イエスさまへの愛と言っていいかもしれません。とにかくペトロはイエスさまが大好きでした。極論すれば信仰とは何か、論理的に分かっていた訳ではありません。それでもペトロを突き動かしていたのはイエスさまへのあふれんばかりの愛でした。湖上のイエスさまは、その愛に応え、途中までとは言え、湖上を歩かせてくださったのだと思います。
 現代を生きる私たちには、2千年前とはまた違ったかたちのイエスさまとの関係があるかもしれません。湖上のイエスさまはペトロに対して「来なさい」と言われたように、今も私たちを招いておられます。
 強い風の中にあっても、しっかりとイエスさまを見つめてこのレントの時を最後まで歩み行きたいと思います。

               2021年2月28日 受難節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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