• 記事検索

RSS

「 昇 天 」 使徒言行録1章6~11節

 クリスマスからのしばらくの時、降誕節のうれしい時を過ごしますが、同じようにイースターからの40日間、復活節の喜びの時を過ごします。今年は、今週の木曜日、13日に昇天日を迎えます。イエスさまの昇天によって復活の喜びの時は、いったん幕を閉じます。
 今日の聖書は、2千年前に昇天を体験した弟子たちの様子を記しています。弟子たちの関心は依然としてイスラエルの再興にあります。6節の「この時」とは、5節に記されている「聖霊による洗礼を授けられる」時のことです。それに対してイエスさまは、それはあなたがたの感知することではなく、ただあなたがたは聖霊を受けたなら、地の果てまでイエスさまの証人となることを話されました。するとイエスさまは天に上げられ、弟子たちから離れ去って行かれたのです。
 復活の主とともに喜びの40日間を過ごした弟子たちは、おそらく大変寂しい思いにとらわれたのではないでしょうか。名残惜しそうに天を見つめていた弟子たちに天使が現れ、言葉をかけられます。
天使は端的に、イエスさまがまた来られることしか告げていません。天使の言葉の言外の意味を想像するならば、「天を見上げて、突っ立っていないで、地に足をつけて、地を見つめて生きなさい。あれやこれやと思い煩うのではなく、今、ここを、生きなさい。大丈夫。あなたたちはひとりではない。」、こんな感じでしょうか。
昇天は、それまでの、イエスさまがなにかにつけ、手取り足取り教え導いてくださった時から、弟子たちが自分の足で歩いて行く時への変換のときでした。ここから弟子たちは、自分たちで聖書を読み、祈り、互いに愛し合いながら、聖霊降臨の時を待ったのでした。その意味で、イエスさまの昇天は、弟子たちの自立と成長にとって必要なものだったのだと思います。
 私たちも救いを求めてイエスさまのところに来て、そこで癒され、救われる訳ですが、そして洗礼を受けたなら、そこからイエスさまを救い主と信じる、証人としての歩みを始めるのではないでしょうか。もう一度初心に帰って、私たちもイエスさまの昇天を経て、地上を歩むイエスさまの証人として、自立して、力強く生きて行く者でありたいと思います。

               2021年5月9日 復活節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):