教会の花壇の花たち、雨に濡れて美しく咲いています。梅雨入りと同時に、紫陽花が咲き始め、ミルトス、そしてついに、アガパンサスが咲き出しました。咲き誇る花たちを見ていると、神の愛を感じます。
今日の聖書は、有名な「愛敵」のところです。もともとユダヤ教では、隣人愛が勧められていました。しかしその場合、隣人とはイスラエルの同胞を意味していました。そして敵は憎め、と教えられていたのです。
イエスさまはそんな隣人という概念、考え方を、超越されます。有名な、ルカ福音書の「あるサマリア人のたとえ」では、民族を越えて、自分の方から隣人になって行くべきことが教えられています。隣人と言う概念の垣根を無限に拡大し、もはや敵も味方もなく、すべての人を愛すべきことが教えられているのです。
そこからイエスさまが示された神は、善人も悪人も分け隔てなく愛されるお方であることが語られるのです。太陽、雨というのは天の恵み、天の愛の象徴です。天から見れば、人間の個々の違いなど、ほんの些細なものなのかも知れません。
私たちが児島教会に赴任してから7年間に、藤岡友幸牧師を含めると7名の方々が天に帰られました。地上では、いろいろ大変なことも経験されたことと思いますが、今は天にあって、永遠の安らかな時を過ごしておられます。きっと、天の愛いっぱいの、美しい、すばらしい日々なのではと想像します。
天上の姉妹兄弟たちは、それぞれ地上での姿をはるかに超越した姿に変えられているのではないかと思います。そうするとイエスさまは、どんなすごいお姿になっておられるでしょうか。
私たちが知りうる限り、イエスさまこそこの地上での、天の愛の体現者です。しかしやはり生身の人間としての限界はありました。肉体的な制約や、時間空間の制約が全くない天に帰られたわけですから、地上でのイエスさまの愛をさらに深く広くした愛、天の愛そのものとなられたのではないでしょうか。
私たちの救い主は、天の愛です。人間の小さな違いや、些細な事柄に一喜一憂する愚かな者ですが、心を高く上げ、イエスさまを見て、その愛をいただき、そのいただいた愛をもって、自分自身と周りの人々を愛して行く歩みを続けて行きたいと思います。
2021年6月20日 聖霊降臨節第5主日礼拝 笹井健匡牧師