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「近くにおられる神」 申命記4章1~8節

説教題「近くにおられる神」 申命記4章1~8節

 

今日の聖書の最後の方には、神さまが近くにおられる、ということが記されています。それは、出エジプトをなし、荒れ野の40年間の旅をしたイスラエルの民と神さまとの関係から来るものであろうと思います。その中で、神さまが民に「律法」を与えられたという大きな出来事が、神さまから人間への近しい関与であったといえるのではないかと思います。

1節には、「イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。」と記されています。この箇所の冒頭は、原文では、「イスラエルよ、掟と法に聞け。」となっているそうです。「聞く」ことは、神と人間の関係の中で、最も大切なことです。聞いて、守り、行うということが申命記の信仰理解です。神さまに聞くことなしに、「行え」ということが先にくると、ただ律法を守ることのみが目的となり、その目的を果たせば幸せになるというご利益宗教に陥ってしまう危険があります。神さまに聞くということを大切にしなければならないと思わされます。

7節には、「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神」と記されています。偉大な神は遠く離れたところではなく、われわれの近くにおられる神なのです。近くにおられるからこそ、イスラエルの民が掟と法を受け取ることができたのです。

私たちの神は「近くにおられる神」です。呼び求めれば、応えてくださる方です。しかし、誤った願いは退けられます。私たちは、神さまの前に罪を犯すことがあるかもしれません。

近くにいてくださる神さまのことを忘れてしまうこともあるかもしれません。その度に、神さまは怒られ、嘆かれ、悲しまれておられるかもしれません。そのような人間の罪のために神さまはその独り子であるイエスさまを地上に遣わしてくださったのです。イエスさまは、「インマヌエル」と呼ばれる方です。インマヌエルとは「神はわれわれと共におられる」という意味です。(マタイ1・23) 目には見えないが近くにおられる神さまが、目に見える形で地上に送られたのがイエスさまです。イエスさまによって、律法は本来の意味を取り戻し、イエスさまを信じるとによって救われるという道が開かれたのです。

イエスさまは律法を成就するために来られました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成させるためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、

天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去るとはない。…」(マタイ5・17)と言われました。律法の成就者としてイエスさまは来られたのです。そのイエスさまは私たちと共にいてくださる方、近くにおられる神を指し示す方なのです。

私たちは、近くにおられる神さまに「聞く」ということを大事しなければなりません。神さまの言葉を直接聞くとはできませんが、聖書に書かれているみ言葉に聞き、神さまの思い

を知り、行い、神さまに喜ばれる、そのような信仰者としての歩みをなしていくことができるように祈る者でありたいと思います。

2021年10月10日 聖霊降臨節第21主日 平島禎子牧師


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