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「世界の礎」 マタイによる福音書7章24~27節

 人類の歴史の一つの大きな特徴は、言葉にあります。様々な経験から習得してきた大切なもの、倫理、道徳、価値観等を言葉にして、後代に残して来ました。ある意味、律法はその代表的なものと言えるかも知れません。

 マタイによる福音書は、5章からの山上の説教において、律法に代わるイエスさまの教えを集約して示しました。今日の聖書は、その最後の教えになります。

 「狭い門」と「広い門」、「良い木」と「悪い木」で、救われる者と滅びる者を対比させ、直前の21節以下ではイエスさまの名前を呼ぶだけでは救われないことを明言します。そして今日のところで、イエスさまの言葉を聞いて行う者、すなわち一連の山上の説教で教えられた隣人愛を実践する者こそが、ずっと救いにあずかることができると言われています。それに対して「砂の上に家を建てた愚かな人」は、種まきのたとえの石だらけの所に蒔かれたものに似ています。根がないため、艱難や迫害が起こるとすぐつまずいてしまうのです。

 愛の実践は、その根を伸ばして行くことかも知れません。実践すればするほど、根は太く長く伸び、何があっても大丈夫になるのかも知れません。

 人類は長い歴史を通して多くのことを学んで来ました。それでもまだ懲りないのが人間だと言えるかも知れません。しかしもうそろそろ、何を土台に基礎にして世界を形成していくのか、分かり始めているようにも思います。

 私たちは、イエスさまに招かれたことによって、イエスさまに救われ、愛されたことによって、互いに愛し合うことこそ、隣人愛こそが大切であることを知らされました。隣人愛こそ、これからの世界の礎にふさわしいと思います。

 これからも世界が持続可能な世界として続いて行くために、先に愛を知らされ、その内に生かされる喜びを知った者として、世界の礎に愛という岩を据えて行く為、祈りながらできることを為して行きたいと思います。

 

2021年10月3日 聖霊降臨節第20主日礼拝 笹井健匡牧師


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