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「天の故郷」 ヘブライ人への手紙11章13~16節

 「天上の友第四編」という非売品の本があります。旧組合教会を中心にした会衆主義教会の伝統と精神を受け継ぐ諸教会・伝道所及び関係学校や関係団体に仕え、天に召された教師たち(牧師、神学教師、教務教師)の人生が一人一頁という短い文章で記されています。人は必ず死にます。しかし、この「天上の友」に記されている人々のように、この世を生き抜いたクリスチャンがいたのだと思うと、死は恐れるに足らず、と励まされる気持ちになります。

 ヘブライ人の手紙11章1節には、「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」と記されています。そして、そのような信仰をもった昔の人たちの名前が4節から12節まで、また17節から38節までに記されています。そして、それらの人たちは信仰によってこの地上を生きたということが記されています。まさに、「雲のような証人」がいるのです。聖書の時代から、数えきれないほどの信仰者たちの群れが私たちとつながっているのです。それらの人たちは、信仰を抱いて死にました。死ぬ時も望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することができました。これらの人たちは自分たちの望みは果たされるということを信じて、召されていったのです。

 私たちの人生は、この世での旅路です。人生という旅を私たちは歩きますが、それのみが事実ではありません。「自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であること」をクリスチャンは知っているからです。彼ら、彼女らにも地上の故郷はあったはずです。しかし、その地上にまさった故郷、天の故郷を熱望していたのです。神さまは、それらの人たちのために「都」を準備してくださったのです。(16節) 私たちの帰る故郷は「天の故郷」です。しかし、この世のことをおざなりにしていいということではありません。この世で「望み」と「見えない事実」を持ちつつ前を向いて歩いていくということが大事ではないかと思います。

 私たちには「天の故郷」があります。「天の故郷」は遠い昔から変わらずに存在します。そして、故郷というからには、わたしたちは以前すでに「天の故郷」にいた、と言えるのではないでしょうか。そして、この世の人生の歩みを歩みきったならば、再び「天の故郷」へと帰ることができるのではないかと思います。葬儀の時に「帰天」という言葉が使われることがありますが、「天の故郷」に帰るために、この地上で様々な経験をし、信仰をもって生きていくことが大切であろうと思います。

つたない信仰者の歩みであったとしても、神さまはほめてくださいます。私たち一人一人、「天の故郷」に帰る日が与えられます。そのことを信じ、この世での生を全うしていく者でありたいと思います。

 

      2022年5月22日 復活節第6主日 平島禎子牧師


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