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「イエスの成人式」 ルカによる福音書2章41~50節

「イエスの成人式」 ルカによる福音書2章41~50節

京都を中心に「十三参り」という習慣があります。津山でも有名な萬福寺で行われてるそうです。私自身も、小学校六年生になった春に、十三参りに行った記憶があります。父が「昔で言うたら、元服。もう大人やで。」と言ったのを覚えています。ユダヤ社会では、十三歳になると「大人」として認められていました。今日の聖書は、その直前の12歳のイエスさまの様子を伝えてくれています。

実は、これにはもとになった書物があり、そこに5歳、6歳、8歳のイエスさまの様子が記されています。最後にこの今日の12歳の場面が記され、その書物は終わっています。ルカはおそらく、イエスさまの幼少期の記事がひとつもないのは福音書としてふさわしくないと思い、その書物から、この記述を採用したのだと思います。

私には、ここには、イエスさまの、少年らしい、思春期らしい姿、つまり真の人としての、生き生きした姿が描かれているように思えます。

12歳から、大人になる準備、具体的には「断食」の練習をはじめていたそうです。しかし、今日の聖書では、すでにイエスさまは、一人前の「大人」としてふるまっておられるように思います。だからこそ、帰りは、自分ひとりで帰れるから、勝手な行動をとられたのだと思います。

両親は、しかし、まだ子どもと思っているイエスさまがいなくなり、必死で探したことでしょう。たぶん、子どもが行きそうなところを中心に・・・。

しかしイエスさまは、エルサレム神殿におられたのです。そして、学者たちの真ん中に座り、質疑応答しておられたのです。この姿は、のちにイエスさまが約20年後、エルサレム神殿に入城され、「宮清め」をされたことを連想させます。この時、もしかしたら、そんな日が来ることを、イエスさまは感じながら議論しておられたのかも知れません。

この後、イエスさまはナザレに戻られ、長い年月、家族のために生きられました。いつの日か、またエルサレム神殿で迎える日を遠くに感じながら・・・。

このイエスさまの姿は、イエスさまにとっての成人式だったのだと思います。イスラエルの現状を知り、このままでは、いけないことを悟られ、自らの使命を感じられながら、過ごされたのではなかったか、と思わされます。

私たち、クリスチャンの成人式は「洗礼」であるように思います。人によってその時は様々であり、神さまのみがご存知です。初心を大切にして、そして「大人」のクリスチャンとしての歩みをなしていく者でありたいと思います。

2017年1月15日 降誕節第4主日礼拝 笹井健匡牧師

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