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「低き王」  ヨハネによる福音書12章12~19節

説教題「低き王」       聖書 ヨハネによる福音書12章12~19節

 新しい2020年度の最初の主日は、棕櫚の主日となりました。1日(水)の祈祷会の時は、雨が降り、そしてこれからの新年度のスタートが、受難週からになるというのは、何とも言えませんが、光を信じて、この受難週を最後まで歩み切り、イースターの良き日を迎えたいと思います。
 ヨハネによる福音書には、他の福音書にはない、ラザロに関する記述があります。そのことによって、イエスさまがエルサレムに入城されるとき、より大勢の群衆が出迎えたのだと記されています。そして最後には、ファリサイ派の人々の落胆が記されています。
 しかし中心は、あくまでもイエスさまがろばの子に乗って入城された、というところにあると思います。これは全福音書に共通するものです。15節の言葉はゼカリヤ書9章9節からの引用です。そこでは、人々に大いに踊り、歓呼の声をあげるよう記されています。それは「王」が来られるかだと言うのです。そしてその王は神に従い、勝利を与えられた者であり、高ぶることなく、ろばの子に乗って来られる、と記されています。
 通常の王の入場は、馬に乗って行われるものでした。しかも当然、とびきり立派な馬に乗って。しかしイエスさまは馬ではなく、ろば、しかも子どものろばを選ばれたのです。さらにゼカリヤの預言を越えているのは、この先に十字架の死が待っていることを覚悟されてろばの子に乗られた、という点です。
 この先に受難が待ち受けているにも関わらず、イエスさまは預言どおり、ろばの子に乗って、歩みをすすめて行かれました。一緒にいた弟子たちは、いったい何が起きているのか全く理解できませんでした。復活の主と出会う、喜びの時、イースターを迎えて、はじめてすべてのことが腑に落ちたのです。
 馬小屋に生まれられ、貧しい大工として働かれ、そして、多くの人の病をいやされた、そのイエスさまの最後に待っていたのは十字架だったのです。言わば、徹底して低きを生き、歩まれた方、それが私たちの救い主イエスさまであり、言うならば「低き王」と言えるのではないかと思います。
 受難節最後のこの受難週を最後まで歩み切り、イースターの喜びの日を共に迎えたいと思います。

2020年4月5日 棕櫚の主日礼拝 笹井健匡牧師   

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