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「信仰者の加齢」 コリントの信徒への手紙二4章16~18節

 土曜日、13日で58歳になります。つまりわたしもついに「あらかん」になるわけです。まだまだ50代半ばと思っていたのですが、さすがに60歳前後となると、人生の最後の仕上げ、を意識するようになりました。今までのこと、これからのこと、いろいろと考えてしまいます。
 しかし今日の聖書のパウロは、いつまでもエネルギッシュでした。加齢なんかで落胆することはありませんでした。それどころか、「外なる人」つまり肉体は衰えて行くとしても、「内なる人」である心というか、精神というか、魂は日々新たにされて行く、というのです。
 日本人にはこの「内なる人」というのは捉えにくいのですが、聖霊を信じる私たちは、「霊」ととらえるのがいいのかも知れません。聖霊は、神の霊です。それに対して、私たち人間にも「霊」が内在するということです。そしてそれは、神の霊である、聖霊とつながっている、ということです。「霊」が日々新たにされるとは、言い方を変えれば若返って行くと言ってもいいのかも知れません。この体、肉体は老いていくけれども、反対に中にある霊は若くなっていくのです。
なぜなら私たち信仰者は、永遠をみつめて生きている存在だからです。やがて天に移され、永遠の命を与えられる、だから人生が終わりに近づくということは天の、永遠の命に近づくということであり、霊はより生き生きとしていくことになるのではないでしょうか。
 現実のこの世での生活では、いといろと大変なことが起こって来たりするわけですが、そんなときこそ、私たちは目の前に見える現実だけに心奪われ、翻弄されるのではなく、見えない永遠の世界に心を向け、落胆せずに、希望を持って生きて行く者でありたいと思います。
 そしていつの日か、天に凱旋したとき、多くの信仰の先達たちと地上での信仰生活を、喜びと笑いをもって語り合えるように、この与えられた人生を精一杯、神さまを信じてイエスさまに従って、そして聖霊に導かれて生きて行く者でありたいと思います。

             2020年6月7日 聖霊降臨節第2主日礼拝 笹井健匡牧師

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