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「太陽と雨」 マタイによる福音書5章43~45節

 今年は、11月24日(木)が収穫感謝祭になります。ですから日本キリスト教団の教会歴では、その前の日曜日の今日が、収穫感謝日となります。

 また児島教会では、この収穫感謝日の近くのタイミングで野外礼拝も行われました。一昨年は鷲羽山で野外礼拝をささげた次の日曜日が収穫感謝日でした。昨年は、金甲山で野外礼拝をささげ、翌週は聖徒の日・召天者記念礼拝をささげ、そしてしばらくして収穫感謝日の礼拝をささげました。

 いつも礼拝をささげている会堂を出て、大自然の下で礼拝をささげるのは、何とも言えない恵みがあります。大空、海、山等を見ていると、もうそれ以上何も言葉はいらない、といつも思いました。

 今日の聖書は、いわゆる”愛敵”のところです。今日は、45節後半に言われている神さまの「愛」に注目したいと思います。

 太陽と雨が出て来ます。大自然の営みの中でも、この二つは特に人間が生きて行くため、より具体的には農耕をしていくため、古代ではどうしても必要なものでした。生活の糧を得るために、どうしても必要なものを、神さまは分け隔てなくくださる方であり、それが神の愛であるとイエスさまは言われるのです。

 わたしたち人間は(古代イスラエルの民に限らず)、近い者をより愛し、遠い者を軽んじる傾向があります。近いとピントが合いますが、遠いとピンボケするわけです。(近すぎてもピントが合いませんが。)

 生きて行くために、群れをつくり、その近い存在、仲間を大切にします。そして遠い存在は、多くの場合、競争する存在、争い、闘う存在になってしまいます。そんなわたしたち人間のことをよくよくご存知のイエスさまは、ユダヤ教で大切にされていた隣人愛を用いて、それを昇華させようとしてこう教えられたのではないかと思います。近しい者、仲間内にだけ適用していた”愛”を、より拡大させ、ついには敵にまで拡大させ、人間本来が持っていた小さな愛の種を、神の愛にまで高めようとされたのだと思います。

 太陽と雨には、国境はありません。同じように、人境もないのです。大自然の営みと恵みを豊かに感じるこの時にこそ、わたしたちは今一度、神の大きな愛に心を向けたいと思います。そしてその愛を、文字通り命を懸けてわたしたちに伝えてくださったイエスさまに感謝したいと思います。神の恵みはわたしたちに充分、ちょうどよく、すべての人に与えられているのです。

 

      2022年11月20日 収穫感謝礼拝 笹井健匡牧師


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