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「先駆者」 マタイによる福音書3章1~6節

アドベント第2主日を迎えました。今年はクリスマス礼拝の25日が日曜日ですので、例年より一週間長いアドベントを過ごします。日曜日の礼拝もアドベント第4主日まで4回ありますので、イエスさまの先駆者の洗礼者ヨハネについて見てみたいと思います。

皆さんもよくご存知のように、マルコによる福音書には、イエスさまの誕生物語は記されていません。その代わりではないですが、マルコは洗礼者ヨハネの登場から福音書を書き始めています。ルカによる福音書にいたっては、洗礼者ヨハネの誕生物語から始まっているのです。マタイによる福音書の誕生物語には洗礼者ヨハネは登場しませんが、決してマタイがヨハネを軽んじているということではありません。

今日の聖書の2節には、「悔い改めよ。天の国は近づいた」というヨハネの第一声が記されています。そしてこれは、そのままイエスさまの第一声になっているのです(4:17)。ヨハネは、何とイエスさまの第一声と同じ言葉を語った、ということになります。

また4節の服装と食べ物は、預言者エリヤを想起させます。山上の変容の後、メシアの先駆者として現れる預言者エリヤは、洗礼者ヨハネのことだと弟子たちが悟ったことが明記されています。

先駆者ということを思いめぐらせていると、なぜか「露払い」という存在が思い起こされました。少し調べると、あの横綱の土俵入りのときの露払いは、昔のいくさや武将等の行列の先導役であり、さらに祭礼の神輿の前を行く太鼓、獅子舞い等の一種の清め役のことであり、もっと昔は蹴鞠の準備のために周囲の露を落とした人のことだったそうです。

ヨハネは、イエスさまの道備えをなしました。決して自分を誇らず、過信せず、自分の後から来る、神の栄光に満ち溢れたイエスさまのことを、そのお手伝いをできれば、少しでも役に立てればこれほどうれしいことはない、といった思い、信仰で、あのような業をなしたのだと思います。

わたしたちも、人間的な弱さを横に置いて、神を信じる一人の先駆者として、神さまの御用に携わって行く者でありたいと思います。失敗しても、転んでも、大丈夫。後ろからイエスさまが来てくださいます。恐れるものはありません。

 

2022年12月4日 アドベントⅡ礼拝 笹井健匡牧師


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