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「マリアの賛歌」 ルカによる福音書1章26~55節

今日の聖書の箇所は「マリアの賛歌」です。ラテン語では「マグニフィカ―ト」と呼ばれています。この言葉には、「大きくする」という意味があります。神の存在がいかに大きなもので、慈愛に満ちているものであるのか、それに比べて自分はいかに小さな存在であるかを自覚し、大いなる神に自分は包まれているのだ、ということを言っているのではないかと思います。

「マリアの賛歌」は、旧約からの女性による「賛美の歌」の伝統の中で捉えることができます。出エジプト記15章19節から21節までには、モーセとアロンの姉ミリアムの歌が記されています。短い歌ですが、女性によって歌われた神を賛える歌であることは間違いありません。また、「マリアの賛歌」は「ハンナの祈り」(サムエル記上2章1~10節)とよく似た者です。二つの歌には、この世の価値観の逆転が歌われているのです。紀元前およそ1300年の中頃に生きたミリアム、紀元前1000年の後半に生きたハンナ、そして紀元前後に生きたマリア、イスラエルの長い歴史の中で、異なる時代を生きた女性たちの賛歌は、神の力を賛え、その神に感謝するというものでした。

マリアは、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」というのです。マリアは自分のことを誇るのではなく、ただ神さまの力を感謝し、喜びを持って、賛美の声を上げているのです。私たちも讃美歌を歌う時、そのような思いをもって歌っているでしょうか。歌が苦手な人もいるかもしれません。それでも、心は喜びと感謝に満ちて歌っていきたいと思わされます。

48節には、マリアは自分のことを「身分の低い」者であることを言っています。これは彼女の謙遜ではなく、実際に彼女が当時の社会において、本当に地位の低い者であったということです。神さまが、ファリサイ派や律法学者といった宗教的指導者の娘ではなく、マリアを選んだということの意味を知る者でありたいと思います。

「マリアの賛歌」は、ハンナの祈り(サムエル記上2章4~8節)に記されているこの世の価値観の逆転の主題を51節から53節に持っています。マリアの賛歌では、この世の価値観の逆転、人間の平等、差別・抑圧されている人たち、苦しんでいる人たちの解放が歌われています。マリアは、このような価値の逆転というある意味過激である強いテーマを歌った強さを持つ女性であったと言えると思います。

「マリアの賛歌」は、砕かれた謙遜な心をもってなされた賛歌であります。私たちも、絶えず神の前にへりくだり、自らの内面を見つめることをなし、神さまにすべてを委ねる者でありたいと思います。このアドベントの時、砕かれた謙遜な思いを神さまの前に持ち、人の世に真実な解放、平和、正義をもたらされた主イエスのご降誕を待ち望む者でありたいと思います。


2022年12月11日 アドベントⅢ待降節第3、降誕前第2主日 平島禎子牧師


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