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「 克己 」 ルカによる福音書9章10~17節

 今週の水曜日は灰の水曜日です。イースター(4月9日)前日まで長い受難節(レント)に入ります。聖書の個所をどうするか迷ったのですが、教団聖書日課通りにしました。

 今日の聖書は、「五千人の給食」の場面です。4つの福音書すべてに描かれています。あらためて読み比べてみて、今回気づかされたのは、そこには「いやし」を必要とする人々がいたことです。

 マルコでは「教え」しか記されていませんが、ヨハネではそもそも群衆が僻地にまでやってきた理由が「病人たちになさったしるしを見た」(6:2)と書かれています。マタイでは「いやし」(14:14)しか書かれていません。そして今日のルカでは「教えといやし」(11節)が記されています。

 大勢の群衆に食事を提供されたことに感動する今日の聖書ですが、その人々の中には多くの病人がいたのです。そう考えるとイエスさまのこの業は、イエスさまにとって、どうしても「なさりたい」愛の業だったのかも知れません。

 弟子たちは大変しんどい状況にあったのではないでしょうか。10節にあるように、大変な宣教から帰って来たばかりです。マルコを見ると、もともと休むためにやって来たのでした。その場所で、疲れてふらふらな状態で、弟子たちは、さらなる働き、神さまの御用をなしたのです。

 自分が元気なとき、幸せで満ち溢れている時、なにがしかのことを他者のためにすることは、まだ、できうることかも知れません。しかしわが身が大変な時、厳しい状況にある時、他者への愛の業をなすことは、なかなかできません。

 この経験は、弟子たちにとって、大切な「克己」の経験となったのではないでしょうか。そしてそのことを教えてくださったイエスさまのことを「だから、こんなお方だったからこそ、十字架へと歩むことがおできになったのだ」と、後に振り返ったかも知れません。

 私たち一人ひとりにも、それぞれに厳しいこと、マイナスと思えること、いやなことがあるかも知れません。しかしイエスさまはそのことをよくご存知です。そのうえで、「自分の十字架を背負って」わたしに従いなさい、と言われるのだと思います。

 イースターの喜びの日を遠くに見据えながら、この水曜日から始まる受難節の時、自らの弱さに打ち勝つ克己の歩みを進めて行きたいと思います。

 

  2023年2月19日 降誕節第9主日礼拝 笹井健匡牧師


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