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「平和在地」 ルカによる福音書2章8~20節

 クリスマスおめでとうございます!

 今年のアドベント祈祷会では、3回にわたってエリサベト、ザカリア、そしてヨセフに焦点をあてて来ました。母となったマリア以外にも、多くの人々の関わり(役割と働き)があったことをあらためて思わせられました。

 今日の聖書では羊飼いが登場します。彼らは、誕生したばかりの幼子イエスについて、天使のみ告げを人々に知らせる働きをしました。イエスさまが宿屋ではなく、馬小屋に生まれられたからこその、羊飼いたちの出番だったのかも知れません。神さまの御業、そのご計画は、すべてのものが働くように、そしてより美しく輝くように、用意周到に備えられていることを再認識させられます。

 天の大軍とともに、天使たちが賛美したのは、”栄光が神にあるように、平和が地にあるように”、というものでした。

私は、手紙や文章の書き出しに、ながらく「主のみ名を賛美します。」を使って来ました。デジタル化、短縮化にともない、最近では「栄光在主。」をよく使うようになりました。「拝啓」の代わりみたいですが。

主なる神に栄光があるように、という言葉と、地上に平和があるように、という言葉は、切り離せない、一つの賛美なのです。だから「栄光在主」という言葉には、「平和在地」が含有されているのです。

平和というと、もちろん戦争のない状態、あるいは衣食住が満たされている、安心で、幸福な状態を思い浮かべます。しかしイスラエルの民、ヤハウェを信じる人々にとっては、神との関係が第一なのです。まず神との間に平和な関係が築かれていることがあって、その上に、地上での他者との間の平和があるのです。

神との間が平和な人となりたいと思います。パウロはローマ5・1で信仰義認とは、神との間の平和だと言っています。イエス・キリストを信じることによって得られる最大の恵みは、神との間の平和とも言えます。

神との間に平和を実現できると、自分自身との間にも平和が実現できます。そして、真に平和な人となって、隣人との間にも平和を実現して行くことができるのではないでしょうか。

クリスマス、それはイエスさまが平和の主としてお生まれになった日です。今年もイエスさまを自身の心に迎え入れ、私たち自身が平和になり、そして少しでもこの地に平和をもたらすことができるよう、祈りたいと思います。

 

 2021年12月19日 クリスマス(降誕前第1主日)礼拝 笹井健匡牧師


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