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「新しい道」 マタイによる福音書2章1~12節

 2022年、新年あけましておめでとうございます。

 12月から大変寒い日が続いています。しかし、夜明け前が一番暗いように、この厳しい冬の先には、暖かい、うららかな、新しい春が待っていることを信じたいと思います。コロナ禍も3年目に入りました。今年こそは、いろいろなことが解決し、安心して暮らせるようになることを、信じて祈りたいと思います。

 教会歴では、1月6日、公現日までがクリスマス週間です。そういう意味では、私たち信仰者はクリスマスの光の中で、新しい年、2022年を迎えました。この年も聖霊に導かれ、イエスさまに従って歩んで行きたいと思います。

 公現日の主役は占星術の学者、いわゆる博士たちです。ルカが誕生告知の物語の主役を羊飼いたちにしたのと対照的です。マタイは、より広い世界に、救い主イエス・キリストの誕生を位置づけようとしているのかも知れません。

 東方からはるばるやって来た博士たちは、エルサレムのヘロデのところにやって来ました。新しく誕生したユダヤ人の王を拝みに来たのだから、当然と言えば当然です。ユダヤの中心エルサレム、現在の王であるヘロデ、当然そこに新しく誕生した王もいると考えました。しかしベツレヘムというおそらく見知らぬ小さな町を示されたのです。最終的に、博士たちは星の導きによって目的を達成することができたのでした。

 帰途に就く時、博士たちは夢のお告げによって、来た道、エルサレム方面とは違う、別の道を行くことになりました。「ヘロデのところへ帰るな」というお告げは、文字通りの意味を越えて、深いものを感じます。幼子イエスに会いまみえたことによって、それまでの常識、価値観が打ち砕かれ、新しい心で、新しい道を歩む者へと変えられたのではないかと思うのです。

 知らない土地で、知らない町へと行かねばならなくなった博士たち、それは大変な災難でした。しかしそこでイエスさまに出会えたことによって、人生が大きく変えられたのではないかと思います。

 阪神淡路大震災の時、ボランティア元年という言葉が誕生しました。すべての苦しみは本来産みの苦しみだと私は思います。このコロナ禍で、最悪の困難の中で、主イエスをお迎えした私たちは、博士たちと同じように、それまでとは違う、新しい道を歩む者へと変えられ、主イエスをしっかりと見つめながら、新しい歌を歌い、新しい心で、新しい歩みに踏み出して行く者でありたいと思います。

 

      2022年1月2日 新年礼拝(降誕節第2主日礼拝) 笹井健匡牧師


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