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「悪魔の誘惑」 マタイによる福音書4章8~11節

 毎年、この降誕節の時、イエスさまの生涯に思いを馳せながら歩みます。今年は3月2日が灰の水曜日なので、約2カ月、降誕節が続きます。

 今年の最初に示されたのは、なぜか悪魔の誘惑でした。イエスさまは洗礼を受けられた後、伝道を始められる前に、40日にも及ぶ、荒れ野での誘惑を受けられました。

 今日の聖書は、3つ目の誘惑のところです。1つ目はみ言葉によって生きる、2つ目は神を試すことなく生きるという答えによって、悪魔の誘惑を退けられました。そこで悪魔は最後の、そして最強の誘惑を持ち出します。

 この3つ目の誘惑は、第一義的には、悪魔を拝むことを拒否し、神を拝み、神に仕えて生きることを宣言されたことに意味があります。しかしここには悪魔のしたたかな、下心があるように思います。

 イエスさまは、これから人々に福音を宣べ伝えて行こうとされていたのです。その効率を考えるなら、すべてをわがものとし、それから福音を伝えるのが楽だと思えます。悪魔はするどいところをついているのだと思います。すべてを支配し、言うことを聞かせる、というのは王や、権力者のやり方です。全世界の頂に立たせて、ほらこれらを全部あげるよ、と悪魔はささやいたのです。お前は一番偉いのだから、すべての人を支配し、その頂上から教えればいいんだ、効率よく教えることができるぞ、と言う感じでしょうか。

 しかしイエスさまが選ばれたのは、それまでのリーダーたちとは全く違う方法でした。馬小屋に生まれられ、大工として生きて来られたイエスさまは、その社会の最も低きところから、言わば、下から上を照らすようなかたちで、福音宣教の業をなして行かれました。それこそが神さまのみ旨であり、導きであることを固く信じ、最後は十字架への道を歩まれたのです。

 ここに真の救いがあります。イエスさまは悪魔の最強の誘惑に打ち勝たれ、おそらくは、その後も、折を見て誘惑してくる悪魔に打ち勝たれながら、主の備えられた道を最後まで歩み抜かれたのです。

 私たちも、それぞれ大なり小なり、苦しみや悲しみを抱え、そこから来る様々な誘惑に直面しながらも、懸命に生きている存在です。すべての誘惑に勝利された主イエスに従って、私たちもこれからどんなことが起きようとも、しっかりと主に結ばれて誘惑に打ち勝つ歩みをすすめて行きたいと思います。

 

2022年1月9日 降誕節第3主日礼拝 笹井健匡牧師


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