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「召命」 エレミヤ書1章4~8節

「召命」とは、神から召されて聖職者になることを意味していましたが、宗教改革者たちによって、神さまから召されて与えられた職業をなすことも「召命」であると言われて、今日に至っています。「召命」のドイツ語はBerufという言葉で、「職業」という意味があります。英語では、Callingという言葉で「呼ばれること」という意味があります。「召命」とは、神から「呼びだされて」、ある「職業」につくことを意味しているのです。

エレミヤは「召命」を受けた時に、神さまから「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」(5節)とエレミヤに語られました。これはエレミヤだけに言われる言葉でしょうか。私たちもまた、生まれる前から神さまに知られ、それぞれの天職というものを備えられているのではないでしょうか。しかし、エレミヤはそのような神さまの言葉をすぐに受け入れることができませんでした。「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」と言って拒絶します。あの出エジプトの偉大な指導者であったモーセも、神から「召命」を受けた時、「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。…」(出エジプト4・10) と言って、拒もうとしました。神さまの召しは不思議なもので、この世的に考えると、弁が立ち、行動力のあるリーダー的な人ではないような人物を選ばれるのです。しかし、召された人たちは、その時不安になり、時に困難に遭い、このような役目は嫌だと時には思いつつも、その職務を全うしていくのです。

神さまは、「わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。」(7節)と言われます。預言者の職務とは「神の言葉」を人々に語ることです。それは、心地のよいものではないことも多かったと思います。「神の言葉」を受け入れようとしない人々が大半でありました。神の言葉を語るということは、どれほど大変なことであったか、ひいては命に関わることでありました。しかし、神さまはエレミヤを鼓舞するように言われます。「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す」(8節)と言われたのです。神さまは人を選び、遣わされるのです。その時、人は一人ではなく、神さまと共に、神の業をなしていくのです。神さまは私たちと共におられ、必ず救い出してくださるのです。

「召命」というのは、人間の都合で受けたり、断ったりするものではありません。神さまに呼ばれた(Calling)ならば、人はためらいや拒絶を持ったとしても逃れられないのです。そして、神さまはその人自身の弱さをも見られ、私が共にいてあなたを救いだす、と言われ、その人に与えられた職務につかせられるのです。

私たち一人一人「召命」を受け、神さまの言葉に従い、共にいてくださる神さまに助けられ、それぞれに与えられた職務を全うできるよう、祈る者でありたいと思います。

2022年1月16日 降誕節第4主日 平島禎子牧師


追記:現代の世界において、日本においても、職がなく苦しんでいる人たちも大勢います。それらの人たちにも天職は与えられているはずです。しかし、コロナ禍もそうですが、それを阻むものが存在するが故に、職を失する人が増えているのだと思います。また、そのような状況に対応していくのが国の務めであろうと思いますが、政治が本当に困っている人たちのところへ手が届いているのか、届いていないではないか、とう現実があります。そのような人たちのために自分に与えられた職務として活動している人たちもいます。私たちも小さなところからでいいので、できることをなしていく者でありたいと思います。


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