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「新しい人になる」 コロサイの信徒への手紙3章1~11節

 私たち人間は、時間の中で生きています。今、こうしている間にも時は進んでいきます。その時の進む中で、色々な経験をし、色々な出来事に遭遇し、私たちは、一生前へ前へと進んでいきます。後戻りしたくてもそれは決してできないことです。人は成長していく時、節目、節目において、新しい自分に変わっていくことを自覚するかもしれません。しかし、そのように節目、節目に新しくなった自分、また、他者を発見するかもしれませんが、突然新しい人になるのではなく、日々を積み重ねることによって、新しい人になっていくのです。

 今日の聖書には、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」と9節に記されています。私たちは、主イエスの復活に与っている者たちであります。なので、上にある者を求め、心に留め、地上のことに心を惹かれないようにするべきなのです。上にあるものを求めるということは、私たちが新しい愛と新しい目標をイエスさまを通して神さまからいただくことなのです。

この世にある負の事柄を捨て去り、また、この世にある悪いものでまみれている古い自分を捨て去りなさい、とパウロは言うのです。それぞれの人間には過去があります。過去には楽しいこと、嬉しいこともありますが、嫌な気持ちになる思い出したくもない過去もあります。その中にやましい気持ちになるものもあるかもしれません。過去のそういった負の部分を今を生きるあなたは捨てなさい、古い自分の起こした悪しき事は二度と繰り返してはいけない、それを捨て去りなさい、と言われているのではないでしょうか。

 「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に到達するのです。」と10節で言われています。生活の場において、仕事の場において、教会において、その他の場においても、イエスさまに倣い、愛を豊かにもって生きる新しい人となるように、と言われているのではないでしょうか。新しい人になるというのは一回限りのことではありません。「日々新たにされて」と記されています。新しい朝を誰もが迎えるように、新しい人を日々迎えることができる、日々新たにされて私たちは生きていくことができるのです。そのように人が日々新たにされていくことを知り、真の知識に達するのです。

 全ての人が古いものを脱ぎ捨て、新しい人を身に着けることができます。そこには、あらゆる差別は廃されて(11節)、全ての人にキリストの福音が開かれ、全ての人が神を信じ、古いものを脱ぎ捨て、新しいものを着ることができるのです。

 全ての人が主イエスにあって、「新しい人」になることができます。それは一度限りの出来事ではなくて、日々新しくされ続ける新しい人です。私たち一人一人、主イエスによって神から赦されているものとして、日々新しい人になることができるよう、祈る者でありたいと思います。

      2022年10月9日 聖霊降臨節第19主日 平島禎子牧師


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