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「愛の業」 ガラテヤの信徒への手紙5章13~15節

 今日は聖徒の日です。礼拝堂の前の壁面いっぱいに、召天者の方々のお写真を並べて、礼拝をささげています。少し前方の真ん中には、4月12日に召天された岡明孝さんの写真があります…中略…。

 キリスト教は、いろんな風に形容されますが、そのひとつに“自由な宗教”があります。それまでのユダヤ教の儀式と戒律(律法)中心の在り方から、割礼、食物等多くのものが、“自由”になりました。それは人類の歴史としても、大きな進歩でした。しかし、なかにはその自由を履き違える人々も出て来ていたようです。

 たとえばユダヤ教には厳しい食物規定がありましたが、キリスト教では、基本何を食べてもいいことになりました。中には、行き過ぎてしまい、暴飲暴食に走る者さえある始末でした。そして大切な教会での食事の時、空腹の者がいる一方、酔っている者もいるということさえありました(コリント一11:20~21)。

 パウロは、自由を得たのは、罪を犯すためではなく、愛し合うためだと教えます。そしてそれは聖書全体を全うすることになると言うのです。

 誕生した頃の教会が大切にしていた教えは、「神を愛し、人を愛する」という黄金律です。それはイエスさまがエルサレムでの最後の日々に、教えられたことでした。

 キリスト教は、自由な宗教です。今日の聖書の見出しにある、「キリスト者の自由」の実践としてあるのが、隣人愛です。

 召天者の姉妹兄弟の方々も、それぞれに弱さや欠けを持つ私たちと同じ人間です。しかし、私たちキリスト者は、その負の面を注視するのではなく、召天者のお一人おひとりが示して下さった、愛の業にこそ目を注ぎたいと思います。たとえそれがどんなに小さなものであっても、些細な事であっても、そこには神の御手が働いて、その示された愛は、永遠に輝き続けるのです。

 暗き、混迷を深める時代だからこそ、先達たちが示して下さった愛のバトンを受け継いで、私たちもそれぞれに小さな愛の業をなし、この世に小さな灯りをともす、信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

 

    2022年11月6日 聖徒の日・召天者記念礼拝 笹井健匡牧師


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