2023年、新年あけましておめでとうございます。みなさんは、どのような朝を迎えられたでしょうか。
昨年は、これまで生きて来た中でも、本当に特別なことがあった年でした。過去のこと、また遠いこととして認識していた戦争が2月24日からずっと続けられ、世界は非常に混沌とした時を迎えています。
個人的にも、6月13日に還暦を迎え、21日から左顔面神経麻痺になりました。10月に無事に治ったとはいえ、今でも少しつっぱり感や、ヒリヒリ感が残っています。これからの世界や、自分自身のことを思うと、不安や心配が沸き起こってきますが、しかし考えようを変えると、ここまで元気に生きて来られて、本当に幸せ者だったなあと、あらためて神さまに感謝の思いでいっぱいです。
今日の聖書は、「断食についての問答」という見出しがついています。これは少し表面的なタイトルです。一つ前の「レビを弟子にする」の後半が、レビの家での「食事」の場面になっていたので、ここで「断食」が引き合いに出されている、という感じだと思います。ですから、後半では、布の話とぶどう酒の話が例として語られています。「断食」「布」「ぶどう酒」は、たとえです。イエスさまがここで言おうとされているのは、「花婿」つまりイエスさまが来られたことによって、それまでの「古い」世界は終わり、新しい世界が始まった、ということだと思います。
イエスさまの登場を受けて、その姿を目の当たりにした人々は、権威ある「新しい教え」と言いました。イエスさまの教えは、新しかったのです。そしてそのイエスさまが言われた、近づいた「神の国」は、新しい世界を言われたのです。
最後の「新しいぶどう酒」は、「新しい革袋」に、というところでわたしたちクリスチャンは、すぐ新しい教え、つまり福音は、「教会」に、と思ってしまいます。まちがいではありませんが、このとき、イエスさまが言われたもともとの意味は、新しい教え、つまり新しい「律法」は、これからの新しい世界に、というものだったと思います。
イエスさまが「新しい世界」を指し示して下さって、「もう」2千年。しかし、見方を変えると「まだ」2千年かも知れません。2千年前も「画期的」な「時」でしたが、もしかしたら、今も同じく「画期的」な「時」なのかも知れません。
2023年が、新しい世界の幕開けとなるよう、祈りたいと思います。
2023年1月1日 新年礼拝(降誕節第2主日) 笹井健匡牧師