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「新しい神殿」 ハガイ書2章1~9節

 今日の聖書には新しい神殿建設を鼓舞する言葉が記されています。紀元前586年にユダ王国がバビロンによって滅亡し、エルサレムは陥落、神殿は破戒されてしまいました。しかし、紀元前539年にはバビロニアはペルシアによって滅亡し、ペルシアのキュロス王によって、捕囚の民であったイスラエル民族は帰国を許されました。ダレイオス王の第二年というのは紀元前520年です。その時に主なる神は預言者ハガイを通して新しい神殿の建設の再開をなすようにと、民に呼びかけたのです。

3節の「残った者」とは、昔の神殿を知っている人たちで、おそらく70歳を超えた人たちを指しています。これらの人たちにとっては、再建されている神殿は、前のエルサレム神殿に比べると「無に等しいもの」ではないか、と語っているのです。そのような高齢の帰国民の言葉を踏まえつつ、ハガイは、「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せ。」「ヨシュアよ、勇気を出せ。」「国の民は勇気を出せ」という主の言葉を取り次ぐのです。(ゼルバベル、ヨシュアとも、当時の国民のリーダー)「今」という時は、時系列による「今」ではなく、神さまの約束が造り出す「今」を意味しています。「勇気を出せ」というのは「気力を失わずに奮い立ちなさい」という意味です。老人たちの嘆きがそのとおりであるとしても、神さまの介入されている「今」という時に、気力を失わずに奮い立ちなさい、ということを意味しているのだと思います。 ― 中略 ―

 9節には「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所にわたしの平和を与える」と記されています。ソロモンの建てたエルサレム神殿のような豪華絢爛なものは、新しい神殿にはありませんでした。しかし、神さまは、「この新しい神殿は昔の神殿にまさる」と言われたのです。その新しい神殿には、神の臨在があり、人々の信仰があり、神を礼拝する場として、古い神殿にまさるものなのだ、と言われたのであろうと思わされます。

 神殿とはキリスト教でいうなら教会ということになると思いますが、教会とは建物だけを意味するものではありません。教会は集う人々で構成される共同体をも意味します。新しい会堂が与えられ喜ぶと共に、そこにいる人々の共同体も古いものから新しいものへと変えられていかなければならないのではないかと思います。昔のことを懐かしむのは大切なことでもありますが、そこに留まっていては、今の状態を悲観することにつながるのではないかと思います。新しい教会、新しい共同体は、昔の教会、昔の共同体にまさっているのです。そして、神さまが介入される「今」という時を思いつつ、新しい神殿、新しい教会、新しい共同体を誇りに思って歩んでいくことができるように、祈る者でありたいと思います。


      2023年1月29日 降誕節第6主日 平島禎子牧師


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