• 記事検索

RSS

「 誘惑 」 ルカによる福音書4章1~12節

説教題「 誘惑 」                        ルカによる福音書4章1~12節

 今日の聖書には、イエスさまが公生涯を始められる前に、荒れ野で40日間過ごされ、悪魔の誘惑を受けられたということが記されています。ここには、三つの誘惑が記されています。第一の誘惑は、40日間何も食べず、空腹を覚えられたイエスさまに対して、「石をパンになるように命じたらどうか」というものでした。イエスさまの空腹を満たすことだけでなく、宣教活動の中で、空腹の民のためにそのような業をなしてはどうか、ということも含まれていると思います。しかし、イエスさまは、「人はパンだけで生きる者ではない。」(申命8・3)と答えられました。そして、この申命記の言葉には、「人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」と続けて書かれています。石をパンに変えることは、神さまの御心ではない、神さまの口から出るすべての言葉によってのみ人は生きるのである、と言われ、誘惑を退けられました。

 第二の誘惑は、この世の権力、栄華に関するもの、政治的なものです。悪魔は、/もしあなたがこの地上の王になるなら、あなたの理想の世界が創り出せるではないか。そして、富も権力もあなたのものだ。人間が欲しいと思っているものは何でも手に入る。しかし、たった一つ条件がある。それは私を拝むことだ。/と悪魔は言ったのです。イエスさまは、この悪魔の誘惑に対して、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』(申命記6・13)と書いてある。」と言われ、悪魔の誘惑を退けられました。悪魔を拝み、この世の権力者になることは神に反することである、ただ、神のみを拝み、神に仕えることをなさねばならない、と言われて、この世の欲望を断ち切られたのだと思います。

 第三の誘惑は、荒れ野からエルサレムへと場が移されなされました。悪魔は、「エルサレム神殿から飛び降りてみたらどうだ。聖書に書いてある通り、神はあなたを守り、支えてくださるであろう。」と聖書(詩編91・11、12)を引用して言ったのです。しかし、イエスさまは、「『あなたの神である主を試してはならない。』(申命記6・16)」と言われ、悪魔の誘惑を退けられました。

 イエスさまは、悪魔の三つの誘惑に勝利されました。しかし、イエスさまが受けられた誘惑というのはこれで終わりではなかったのではないかと思います。イエスさまは誘惑に遭う度に祈りに祈られて、乗り越えてこられたのだろうと思います。そして、最後の十字架は、イエスさまが祈りに祈られた(ゲツセマネの祈り)結果、受け入れることが神さまの御心であるということを悟られたのだと思います。十字架から逃れることが、イエスさまにとっての最後の誘惑であったのかもしれません。

 私たちは、自分の中にある弱さを自覚し、主の祈りにある「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。」という祈りを祈ると共に、私たち人間と同様に「誘惑」にあわれ、「試練」や「苦しみ」を経験されたイエスさまのことを思い、このイエスさまの「恵み」と「憐れみ」が私たちに注がれていることを覚え、レントの時を歩む者でありたいと思います。

     2023年2月26日 受難節第1主日 平島禎子牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):