• 記事検索

RSS

「 希望 」 ルカによる福音書24章1~12節

イースターおめでとうございます!長いレント(受難節)の期間がようやく終わり、心からの喜びの日、イースターを迎えることができました。クリスマスとはまた違う、晴れ晴れとした、そして限りなく深い喜びを感じます。

キリスト教の信仰は、このイースターがあったから始まりました。主イエスが復活され、多くの人に(コリント一15:6)現れたのが起源です。しかし今日の聖書は、さらにその前の、プレ復活と言えるような事柄を伝えています。

ここではまだ、復活の主イエスは登場しません。イエスの遺体に用いるため、香料と香油を持ってきた女性たちに現れたのは、二人の天使でした。遺体がないことで途方にくれていた女性たちに、天使は主イエスが復活されたことを告げました。

イエスの言葉を思い出した女性たちは、天使が告げた復活を信じることができたのだと思います。そして使徒たちに話しますが、彼らは信じませんでした。

遺体がないことに驚いたペトロも、やはり復活は信じられませんでした。

ここには復活信仰の神髄があるように思います。34節に復活の主がペトロに現れたことが記されていますが、この時もしかしたら主イエスは、トマスに言われたように「わたしを見たから信じたのか‥‥。」と言われたかも知れません。

見ないで、つまり聞いて信じることこそが、復活信仰です。

女性たちは、天使から聞いて、信じました。その後、多くのクリスチャンはみな、福音を聞いて信じたのです。この、聞いて、信じて、知らせる、の繰り返しがキリスト教の歴史そのものです。

メシアと信じ、そして尊敬し、愛してやまなかったイエスが、十字架上で息を引き取ったのは、従っていたすべての人にとって、この上ない絶望でした。すべての希望が潰えてしまったように感じたことでしょう。しかし神さまは、その主イエスを復活させられたのです。ここに希望があります。この世的には、人間の思いからするなら、ジ・エンド、すべてが終わってしまったという状況が、復活によって新しい希望へ、新しい生へ、変えられたのです。

この2023年度も、大変なことが待ち受けているかも知れません。しかし、どんなに厳しい状況であっても、絶望的に思える事柄であっても、復活信仰に生きる私たちには、すべては最終的に希望に変えられる、そしてまた新しく生きて行くことができることを信じて、歩んで行く者でありたいと思います。

 

2023年4月9日 イースター礼拝(復活節第1主日) 笹井健匡牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):