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「 栄光 」 ルカによる福音書9章28~36節

説教題「 栄 光 」 ルカによる福音書9章28~36節

 

 受難節(レント)の歩みも、前半を終えました。それぞれに克己の歩みをすすめて来られたと思いますが、いかがだったでしょうか?

 私は、今年は例年にも増して、結構大変だったのですが、水曜日の祈祷会の後、午後に再び教会に行ったときに、解決を与えられました。やはり祈りの力というのはすごいなあと、実感させられました。

 今日の聖書は、イエスさまの姿が光輝く「山上の変容」の場面です。ルカは、マルコの内容を踏襲しながらも、それに「祈り」をプラスしています。それも、わざわざ2回も、です。ルカは、この栄光の出来事の一番の土台に、イエスさまの祈りがあることを記したかったのだと思います。この驚くべき変容は、そしてイエスさまの栄光の姿は、その祈りの力によって起こされたのです。

 目を疑うような場面描写ですし、証人は3人だけなので、にわかに信じがたい、と思ってしまう出来事です。しかし「信徒の友」の聖書日課にもありますように、ペトロ二1:16~18にも伝えられていますので、やはり何らかの、驚くべき事柄があったと素直に信じる方が、いいのかも知れません。

 1回目と2回目の受難予告に挟まれているこの個所は、受難とは反対の「栄光」に彩られています。それは主のご受難は、負の出来事で終わってしまうものではなく、最後には「栄光」に変えられるのだということを表しているように思います。モーセ、エリヤ、そしてイエスが栄光に輝き、記されてはいませんが、最後には神がその声をもって、栄光を現されたのだと思います。

 31節にある「最期」は、「エクソドス」(出発、旅立ち)という言葉です。もちろん、直近のこの後のエルサレムでの最期のことではありますが、それに留まりません。十字架の死で終わるのではなく、その後復活と昇天があります。最期の最期は、天へと旅立っていくのです。それはこの世のすべてのものに勝利された、天への凱旋です。

 この世的には最も悲惨で、惨めで、敵だけでなく、弟子たちからも裏切られ、捨てられたような最期を遂げられますが、しかし神は、そのイエスをこそ、真の勝利者として復活させられ、そして天へと迎え入れられたのです。

 これが私たちの救い主であるイエスさまです。だから大丈夫です。迷い多い、欠けの多い、弱い私たちですが、このイエスさまについていくレント、克己の歩みを受難節後半も、祈りを熱くして進めていきたいと思います。

 

  2023年3月19日 受難節第4(復活前第3)主日礼拝 笹井健匡牧師


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