復活節最後の日曜日となりました。マタイはマルコに従って復活を記した後、番兵たちの逸話を記し、今日のところの、いわゆる「世界宣教命令」をもって、福音書を閉じます。
通常は、世界宣教がメインテーマとされますが、ここにはもう一つ、マタイの信仰の核である、インマヌエル信仰が表明されています。
イエス誕生のとき、神我らと共にいます(1:23)ことを記したマタイは、福音書を閉じるにあたって、今度は復活の主イエスが「いつも…共にいる」ことを記しました。
マタイにとって復活の主イエスは、全知全能の神から「天と地の一切の権能を授かっている」存在です。この福音書を読んでいた、あるいは聞いていた当時のクリスチャンたちは、迫害もあった、大変厳しい状況を生きていました。そんな信仰の友に向かって、マタイは、大丈夫、主がいつも共におられる、だから何があっても大丈夫だ、と励ましたのだと思います。
今を生きるわたしたちも、内容は違いますが、大変厳しい状況にあると言えるかも知れません。宗教そのものの在り方が、いろんな方向から問われていると言えます。次の世代、若い人々が教会に来ない状況の中で、将来に対する不安や心配に心がふさぎがちです。
こんな時だからこそ、わたしたちはもう一度インマヌエル信仰を自らのものとしたいと思います。「復活の主イエス、我らと共にいます」。どんなときも、復活の主イエスはわたしたちと共にいて下さいます。主が共にいて下さるなら、何も恐れるものはありません。わたしたちはただ、イエスさまと共に、神さまのご用をなしていくのみです。
時に、御手で支え、また二人三脚で歩かれ、あるいはおんぶされ、いつもは暖かいまなざしで見守ってくださり、しかし時として、脊中で厳しさを示される主イエスと共に、これからも信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。
2023年5月21日 復活節第7主日礼拝 笹井健匡牧師