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「聖霊の力」 使徒言行録2章1~13節

 五旬祭(ユダヤ教の収穫祭)の日に、イエスの弟子たち一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いたのです。そして、炎のような舌が別れ別れに現われ、一人一人の上にとどまると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出したのです。使徒言行録1章8節には、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」とイエスさまの言葉が、記されています。そのイエスさまが約束された聖霊が一同の上に降ったのです。「炎のような舌が別れ別れに現われ一人一人の上にとどまった。」というのは、炎が聖霊を表し、舌が言語を表しています。聖霊を一人一人がそれぞれに受け、語る力を与えられたということを意味しているのだと思います。聖霊は、共同体を包むように降ったのではなく、そこにいた一人一人の上に、個別に降ったのです。その聖霊を受けた一人一人によって、新しい共同体が生まれたのであろうと思います。

 そこにいたすべての人たち(祭りのためにエルサレムに帰ってきたディアスポラ(離散)のユダヤ人たち)が、それぞれ住んでいる地域の原語で、神の偉大な業を聞くとはどういうことだ、と言いました。そして、「皆、ガリラヤの人ではないか。」と言いました。ガリラヤというのは異邦の地(イザヤ書8章23節)であり、当時のユダヤ社会では差別をされていた地域でした。しかし、ナザレのイエスに従った多くのガリラヤの人たちが、それぞれに聖霊に満たされ語るということができたのです。人間の力ではおよばない出来事、「聖霊の力」による出来事が起きたのです。

しかし、「あの人たちは新しい酒に酔っているのだ」言ってあざけっている者たちもいた、と13節に記されています。しかし、あざけられようとも、聖霊に満ちた弟子たちには、何の影響もありませんでした。それどころか、14節以下において、ペトロが十一人と共に立ち上がり、説教をしたのです。そして、それを聞いた人たちの約3千人の人たちが仲間に加わった(41節)のでした。

 今から約2000年前のペンテコステの日に、地上にいる人々に初めて聖霊が降るという出来事が起きました。そして、聖霊に満たされた人たちによって、イエスが私たちの主であると告白され、イエスを通して神を信じる共同体が生まれたのです。そして、これらの人たちは、他の人たちからあざけられようとも、また、迫害を受けようとも、人を恐れず、イエスを証して生きていくことができたのです。それは「聖霊の力」によってなされたことでありました。

 このペンテコステの日、ここにいます私たちの上に聖霊が降りますように。教会が聖霊に満たされますように。「聖霊の力」によって、この教会が、わたしたちが、新しい歩みを始めていくことができるよう、祈る者でありたいと思います。

  2023年5月28日 ペンテコステ礼拝 聖霊降臨節第1主日 平島禎子牧師


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