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「思い悩むな」 マタイによる福音書6章25~34節

 今日の聖書は、空の鳥、野の花、ということで有名な箇所です。山上の説教の中に含まれている部分です。この箇所の中心的テーマは「思い悩むな」ということです。

 食べること、飲むこと、着ることで思い悩むな、と言われています。空の鳥は、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に収めることもしない、つまり、農作業と思われる労働をするわけではないけれども、神さまは養ってくださるのだ、それならば人間はなおさらではないか、と言われるのです。着ることについては、野の花がどのように育つのかを注意して見なさい、と言われます。栄華を極めたソロモンでさえ、「この花の一つほど」にも着飾っていなかったと言われています。イエスさまは、自然が豊かな山上で、人々に教えを説かれました。空には鳥が飛び、地には花が美しく咲いている、そのような状態のなかで、身近にある鳥、花でたとえ話をされたのです。神さまは、命の短い花でさえ美しく装ってくださるのだ、まして、あなたがた人間にはなおさらではないか、何を着ようと思い悩むな、と言われたのです。

 しかし、聖書を読む上で注意しなければならないことがあります。それは、イエスさまは誰に対して、どのような人たちに対して語られたかということです。それは、一般民衆であり、貧しい人たちがほとんどであったのではないかと思います。その日食べるもの、飲むものも十分ではない、着る服にしても限られたものしかない、そのような人たちであったと思います。生活をしていく上で本当に大丈夫だろうか、という思い悩みを持つ人たちであっただろうと思います。そのような人たちに対して、「思い悩むな」と言われたのです。悲惨であると思われる立場に置かれていても、必要なものは必ず与えられると信じることが大切なのではないかと思います。

 「思い悩むな」とイエスさまは言われます。空の鳥、野の花をたとえに用いて、私たちにわかりやすく、必要なものは必ず与えられるということを教えてくださっているのです。空を飛ぶ鳥を見る時、美しい花たちを見る時、私たちは、神さまの御業を思い、鳥や花のように私たち人間を神さまは大切にしてくださっているのだということを感じることができるのです。

 最後に、「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」とイエスさまは言われました。人々が苦労をして日々生きていることをイエスさまはご存じだったのだと思います。その日の苦労はその日だけで十分なのだから、明日のことを思い悩んで心の負担にしてはいけない、と言われているのかもしれません。

今日は花の日礼拝です。明日枯れるか、いつ枯れるか、などと思い悩まず、今を精一杯輝かせている花たちから、「思い悩むな」ということを学ぶ者でありたいと思います。あらゆる「思い悩み」から解き放たれて、花のように思い悩まず生きていく人生を歩む者でありたいと思います。

   2023年6月11日 花の日礼拝 聖霊降臨節第3主日 平島禎子牧師


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