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「神の前に」 使徒言行録4章13~22節

 今から約2千年前、誕生したばかりの教会は、いわばマグマが燃え滾っているような状態でした。2章で教会の誕生を記したルカは、続く3章4章で具体的な大事件を記します。「美しい門」での奇跡です。

今日の聖書の個所は、ペトロとヨハネの様子と、それに相接したユダヤ当局の動揺がよく描かれています。それにしても、二人の「大胆な態度」(13節)はどこから来ているのでしょうか。

 ペトロは、神殿での説教(3:12~26)において、この癒しの奇跡は、「自分の力や信心」(12節)によるのではなく、「イエスの名を信じる信仰」(16節)によることを力強く証しました。また、直前の最高法院での弁明でも、この奇跡は「イエス・キリストの名による」(4:10)ことを語りました。

 二人は、自分たちの力によって強くなったのでも、立派な信仰心によって強くなったのでもありません。それはただ、神の前に自分を置くことができたからだと思います。生前のイエスとの交わり、そして十字架と復活の経験が、彼らを文字通り、生まれ変わらせたのです。彼らはユダヤのお歴々の前に立ったのではなく、神の前に立ったからこそ、何者をも恐れぬ、大胆な人間へと変えられたのです。これが聖霊に満たされた人間の姿だと思います。

 一方、ユダヤ当局の人々は、自己保身しか頭になかったようです。14~18節にある、ある意味悲しい姿は、現状を変えたくない時の権力者たちの「弱い」姿を露呈しているように思えます。約40年も「美しい門」に「置かれていた」一人の人間のことなど、どうでもいいのです。

 今や、ペトロとヨハネの方が、大胆で強い存在であり、権力者たちは我が身かわいいだけの、弱々しい存在です。その命令に対して二人は、自分たちは、あなたがたではなく、神に従うと言うのです。

 この世での歩みに日々をいそしんでいると、ついつい大事なことを忘れてしまいます。人の目ばかり気になり、人の事ばかりに心を奪われて行くと、自分の中がスカスカになり、枯れ木のようになってしまいます。そんなとき、もう一度、神の前に立ち戻る者でありたいと思います。そして神の息である聖霊を受け、神の愛に満たされて、大胆に語り(4:29、31)、生きて行く、生きなおして行く者になりたいと思います。

 

  2023年6月18日 聖霊降臨節第4主日礼拝 笹井健匡牧師


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