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「すべての人に」 使徒言行録11章1~18節

 エルサレムにいた使徒たちと兄弟たちは、ペトロによって、異邦人が神の言葉を受け入れたこと、洗礼を受けたことを耳にしました。割礼を受けている者たちはペトロを非難しました。割礼とは神さまとイスラエルの民との契約のしるしでした。(創世記17章9~14節)初代キリスト教会において、割礼の有無は大きな問題でした。異邦人は割礼を受けていないのですから、そのような人たちが神の救いに与ることなど、ユダヤ人キリスト者たちは、思いもしなかったのです。ペトロは非難を受けましたが、そのようになった事の次第を順序正しく説明していきました。ペトロはヤッファに滞在し、祈っている時に幻を見ました。獣や鳥などが入った布が天から地上に下りてきて、それらを「屠って食べるように」という声を聞いたのです。ペトロは拒否しました。ユダヤ教では食物規定があり(レビ記11章)、食べてよい物、いけない物が決められていたのです。しかし、「神が清めたものを、清くないと、あなたは言ってはならない。」と天から声が返ってくるということが三回あったのです。律法で定められた、汚れていない物、汚れた物に縛られているユダヤ人キリスト者の在り方を変える出来事が起きたのです。ペトロはそのような幻を見た後、カイサリアから三人の人がやって来たことを知ります。この三人はコルネリウスという百人隊長から遣わされた人たちでした。コルネリウスは信仰熱心な人でした。彼もまた、天使のお告げを聞いてペトロのことを知り、ペトロを招くようにと言われたのです。ペトロはその三人の招きに応じ、コルネリウスの家へと入りました。そして、そこで話をしました。そうすると、その家にいた一同の上に聖霊が降ったのです。ペトロはそれを見て、「聖霊を受けたこの人たちが水で洗礼を受けるのを、いったい誰が妨げることができますか。」(47節)と言い、「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができましょうか。」(17節)と言いました。ペトロの話を聞いて、人々は静まりました。人々は、ペトロの言葉に心を打たれて、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美したのでした。(18節)

 イエス・キリストの福音はすべての人に開かれています。ガラテヤの信徒への手紙3章28節には、「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」と記されています。救いに区別はないのです。救いはすべての人に開かれているのです。大切なのは、イエスさまを自分の救い主であると信じ、神さまを信じ、聖霊の働きを信じることです。そして、イエスさまが教えられたように、神を愛し、自分のように隣人を愛することです。また、先に信仰に入った者は、自分の物差しで人を図らず、すべての人に教会が開かれていることを覚え、あらゆる人たちを受け入れる教会でありたいと思います。

 

2023年7月2日 聖霊降臨節第6主日 平島禎子牧師


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