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「重荷を担う」ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節

 今日は教団部落解放祈りの日です。「部落解放…の日」ではなく「…祈りの日」という表現には、3月に召天された東岡山治牧師の強い思いがあります。キリスト教界で、はじめて部落民宣言をされた東岡牧師は、祈りの人でもありました。

 先週の日曜日、母教会の世光教会創立記念礼拝に招かれましたが、創立者の 榎本保郎牧師は東岡山治牧師と同級生でした。同じく3月に召天された小野一郎牧師(教団副議長、教団部落解放センター初代運営委員長)、さらに乃美尚敏牧師(福岡警固教会牧師:平島禎子牧師の恩師)も同級生でした。…中略…。

 世光教会は、「祈りの教会」と言われますが、以上のように周りの人々とも、祈りでつながっている教会でした。そういうことから、教団部落解放センター運営委員長を、大変長く努められた東岡山治牧師の思いから、「部落解放…の日」ではなく「…祈りの日」と制定されました。

 そうした人々の末席に連なっているような私ですが、30年前の結婚のとき、本当に大変でした。部落差別問題にかかわっている多くの人たち、そして何より京北教会(平島禎子牧師が在籍)、今治教会(笹井が在籍)、警固教会(平島禎子牧師の出身教会)、世光教会(笹井の出身教会)で熱心な祈りが捧げられました。

 世光教会のひとりの姉妹は、早天祈祷会で毎日祈って下さいました。そうした祈りの力で、道が開かれました。

 今日の聖書は、ガラテヤの信徒への手紙の最後の教えのところです。手紙のテーマは、信仰を持ったにも関わらず、律法に回帰する人たち、特に割礼を受けようとする人たちに、まことの福音を伝えることでした。そのことを5章まで切々と訴えてきたパウロは、今日のところで、信徒と信徒の関係に言及します。それは究極的には、「善を行う」(10節)ということです。より具体的な重要なこととして、「互いに重荷を担いなさい。」(2節)と勧めます。しかし、まずは「自分の重荷を担うべきです。」と教えます。

 一人ひとりが、自らの十字架を負って歩むことが大切です。しかしそれは、決して孤立、ましてや孤独でいいということではなく、互いに担い合うことが、信仰者の交わりにおいて最も重要であると思います。

 だれかの十字架は、主イエスが共に負われます。信仰の友は、それを見て見ぬふりをするのではなく、共に担うのです。

イエスと共に、友の重荷を担い合って行く歩みを、祈りを熱くしながら進めていく者でありたいと思います。

   2023年7月9日 部落解放祈りの日礼拝 笹井健匡牧師


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