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「職人パウロ」 使徒言行録18章1~4節

 聖霊降臨節、聖書で言うと、使徒言行録から手紙の一番の中心人物は、やはりパウロです。パウロというと、通常大伝道者というイメージが強いです。そしてローマの市民権を持ち、もともと高名な律法学者ガマリエルの弟子であった、言ってみれば、かなりのエリートのイメージです。

 しかし今日の聖書は、そのパウロの職業は、テント造りであったと記しています。それは皮革製品の職人です。多くは、奴隷身分の人たちが従事する過酷な労働でした。今で言う、3K労働のようなものです。どういういきさつでそうなったのかは、不明です。以前は、律法学者の生き方と言われていました。または、親から受け継いだ職業の可能性も否定できません。第3の可能性、それはパウロが伝道者として自ら選び取った職業ということです。

 ご存知のように、パウロは、もともと迫害者でした。伝道者になった彼には依然として過去の大きな罪責の念があったと考えられます。それは彼の強い信仰と表裏一体のものでした。先週述べました服部団次郎牧師は、沖縄を見捨てたとの強い罪責の思いから、筑豊の炭鉱夫として働きました。パウロも同じように、しんどい職人として働く道を選んだのではないでしょうか。大変厳しい茨の道です。しかしそれがパウロにとって、イエスに従う道だったのだと思います。

 神さまは、そんなパウロに大きなプレゼントを与えられました。それはアキラとプリスキラです。なんと同業者でした。しんどい仕事も同労の友、ましてやそれが同信の友であるならば、少し救われます。元気になれます。

 アテネで憔悴し、ほうほうの体でコリントに来た(一コリ2:3)パウロと、ローマを追われ、コリントへと逃げ延びて来たアキラとプリスキラを、神は合わせられたのです。弱っていた3人は元気を取り戻し、パウロは安息日ごとに会堂で語れるようになったのです。

 パウロにとっては、職人であるということが、大工として長年働かれたイエスに従う道だったのかも知れません。元迫害者という重い十字架を負うことと、社会の底辺の職人として生きることが、イコールだったのかも知れません。

 フィレモンへの手紙に表れている、老齢のパウロの慈悲深い印象は、奴隷の多い職業に身を置いて来たパウロだからこそのもの、なのかも知れません。

 イエス・キリストを宣べ伝えるとき大切なのは、イエス、パウロがそうであったように、下から、社会やそこで生きている人々を見る目かも知れません。職人パウロはそのことを教えてくれています。

   2023年7月16日 聖霊降臨節第8主日礼拝 笹井健匡牧師


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