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「 悪霊 」 マルコによる福音書5章1~20節

 今日の聖書の箇所から、「悪霊」に取りつかれていた人はなぜ自分を傷つけ、大声で叫びまわらなければならないような状態になったのか考えてみたいと思います。この人の住むゲラサ地方はデカポリス地方に属していました。デカポリスはローマの直轄地でした。ある研究者は、この「悪霊」に取りつかれていた人の住んでいた墓場は、ローマへの抵抗運動で殺された戦死者の墓場であったと推測しているそうです。多くの仲間の血が流され、その結果、その地方に住む人々は、絶望とあきらめの中で生きていくしかないという状況に置かされていったのかもしれません。そういう中で、あきらめきれないけれども、なす術のない一人の人が、言葉にならない声を持って叫び、自らの無力を呪い、自らの体を打ち叩くほかはない状況になった時、大勢の「悪霊」がその人の中に押し寄せてきたのではないかと思います。「悪霊」というのは、人間の弱さ、心の隙間につけこみ、次第に大きく巣くっていくものであろうと思います。

 イエスさまは、どこかでこのゲラサ地方の噂を聞かれていたのかもしれません。イエスさまは、大きな痛みを負わされた地域、人々が絶望と無気力に支配されている場所であることを知られ、ご自分の宣教の地であったガリラヤから舟を漕ぎだされ、向こう岸へ渡られたのであろうと思います。そこには、大勢の霊、レギオン(歩兵と騎兵から成る4000人~6000人のローマの軍団)に取りつかれた人がいたのです。イエスさまは、この人と出会い、この人の中から「悪霊」を追い出し、この人に、この地域に神の救いを告げ知らせる役目を、人々の絶望を希望に変える役目を与えられたのです。

 私たちの生きる社会の中にも大きな痛みがあり、その痛みから絶望が生まれ、無気力に支配されるということもあるかもしれません。しかし、イエスさまは、そのような在り方をよしとはされないのです。8月は6日と9日に原爆忌を迎えました。また、15日に敗戦記念日を迎えます。戦後78年という年月が経っても、戦争の痛みというものは消えません。また、ウクライナの地では、あの戦争を彷彿とさせるようなロシアとの戦が続いています。内戦のある国もあります。世界平和とは程遠い現状です。日本の中にも社会悪がはびこっています。全世界に多くの「悪霊」がいるとしか思えないような状況です。しかし、イエスさまは必ず私たちのところに来てくださり、私たちの中に、また私たちの生きる社会の中に、世界の痛みのあるところにいる「悪霊」を追い出してくださいます。そして、イエスさまがなされた私たちへの救いの業を人々に伝えていく使命を与えられるのです。

 「悪霊」を追い出して下さる方が、必ず来られるということを信じ、「悪霊」の業としか思えないような出来事の多い私たちの社会の中にあっても、真実に生きていくことのできる者となれるよう、祈りたいと思います。

      2023年8月13日 聖霊降臨節第12主日 平島禎子牧師


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