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「御言葉を聴く」 ヤコブの手紙1章29~27節

 8月15日に榎本和子姉が召天されました。97歳でした。ちいろば先生として有名になった故榎本保郎牧師のお連れ合いです。10年前、世光教会創立記念礼拝に伺った時、礼拝後の愛餐会に、故後宮俊夫牧師、後宮松代姉と一緒に3人で来て下さり、当時牧師をされていた榎本栄次牧師とともに、一緒にテーブルを囲んだこと、昨日のことのように覚えています。恵まれたひと時でした。

 召命を受け、会社を辞めて、受験勉強中に参加した年頭アシュラム(祈りの集い)で、同じグループとなり、祈りの友となったこと等いろいろ思い出されます。

 約10年間育てていただいた母教会で学んだことの一つは、御言葉への聴従です。ヤコブの手紙の背景には、「行いの伴わない信仰」(2:18,20)が

ありました。御言葉を聞くけれども、そこで、終わってしまう人、が多く存在していたのかも知れません。25節にあるように、御言葉を聞いて忘れてしまわないで、行うにはどうすればいいのでしょうか。

 聞き方に問題があるのかも知れません。英語のヒアーのように、どこからか聞こえてくる、何か話しているなあ、のような受け身の在り方ではなかなか身に着かないかも知れません。そうではなく、リッスン、自分の方から主体的に聞くことが大切かもしれません。心を向け、関心をもって、かぶりつくように聞く時、御言葉は血となり肉となるのかも知れません。

 しかし人間は、弱く、また忘れやすい一面があります。「体で覚える」という言葉があるように、「行ってみる」のも大切かも知れません。言葉を頭の中だけでぐるぐる巡らせていても、時が経てばいつの間にか忘れてしまうかも知れません。しかし、不十分な理解であっても、消化不良であっても、とにかくやってみる、忘れないうちに実践してみる、そうして反復するうちに、自分のものになっていく面もあるのではないでしょうか。27節に記されている代表的な愛の業も、どうやって、とか、いろいろ頭でぐるぐる考えるより、できることをやってみて、必要なら修正して、工夫して繰り返しやっていくうちに、素晴らしい愛の実践になっていくのだと思います。はじめからうまくやれる人なんていないのですから。

 2000年前、誕生したばかりの教会に集っていたクリスチャンたちが、礼拝でいつも心を傾けて聴いていたように、まずは聖書に、御言葉に聴くことから、あらためて信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

 

   2023年8月20日 聖霊降臨節第13主日礼拝 笹井健匡牧師


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