• 記事検索

RSS

「神の招き」 ルカによる福音書14章7~14節

 8月28日(月)~30日(水)まで、平島禎子牧師の実家のある福岡に帰省しました。その前日、倉敷水島教会の礼拝に出席しました。「牧会祈祷」の中で教区「お祈りカレンダー」の教会を覚えて祈りがささげられました。8月27日は児島教会でした。その後の説教の聖書個所は、ルカ14:7~14で、今日の児島教会と同じ個所でした。

 今日の聖書の個所だけ読むと、前半は、宴会の所作、マナーについて教えられ、12節~の後半は、宴会の招待客について教えられているように読めます。しかし、前後の文脈(1~6節、15~24節)を合わせて読むと、もっと何かそれ以上のものが教えられているように思います。

 1~6節の安息日のいやしは、6章6~11節に記されている、会堂における、安息日のいやしと同じような内容です。病気の質が違うとは言え、そこに同席していた人々にかなり大きなインパクトがあったと思われます。そこにいた人々の心の在りようは、どのようなものだったのでしょうか。

 そこでイエスは、ひとつの「たとえ」を語られたのです。「招待を受けた客」は、言わば「近い」人々でした。利害が一致している人々でした。現代の政治家のパーティーを連想してしまいました。集った人々は、少しでも自分を高く売り込むことに、自己宣伝することに余念がなかったことでしょう。「上席を選ぶ」人々に、「へりくだる者」になれ、と言われたのだと思います。

 12節~のところは、現代においては、しょうがい者差別に注意して、その真意を読み取る必要があります。ここでイエスが言おうとされたのは、社会的地位のある人々、金持ちたちが宴会をして楽しんでいるけれども、そこに入れない、そこから排除されている人々がいることを、そして神はそうした排除された人々をこそ招待され、宴会をされると言われたのだと思います。

 15節にあるように、そこに居合わせた客の一人が、イエスの真意をくみ取り、神の国の食事に言及しています。それに対してイエスは、さらなる「たとえ」を用いて、今度は、あからさまに、神の国の食事にあずかるのは、いったいだれかということを明確に語られました。

 イエスは「たとえ」で神を、神の招きを教えられました。そうすると9節10節の「招いた人」は神さまです。『』の言葉は、神さまの言葉です。10節の『』の最初には、原文(口語訳でも)では「友よ」という言葉があります。神さまは「へりくだる者」を「友」と呼ばれるのです。

 神の招きを受けて、へりくだる友として、信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

   2023年9月3日 聖霊降臨節第15主日礼拝 笹井健匡牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):