旧約聖書のレビ記11章1節以下、申命記14章3節以下には、食物に関する規定が記されています。どちらにも、汚れた動物、清い動物、つまり、食べてはいけない動物、食べてよい動物についての規定が記されています。しかし19節で説明されているように、確かに食べ物のことを指しています。しかし、イエスさまは、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もない。」と言われています。つまり、いかなる食べ物も人を汚したりはしないのだ、と言われているのではないでしょうか。「それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」と19節に記されています。どんな食べ物でも、口から胃の中に入って、必要な栄養分以外は、外に排泄されるということが言われています。律法で、清い、汚れていると言われている食べ物も実際に体内に入れば、同じ運命をたどるのです。
「外から人の体に入るもの」は上記のとおり食べ物のことを指しています。しかし、「外から人の体に入るもの」というのは、他の人が語る言葉、また示す態度もそうなのではないのだろうか、と思わされます。「汚れている」という言葉が発せられると、その言葉は、心を突き刺す剣として、心の中に刺さり、傷を作ります。イエスさまの周りにいた人たちは、そのような傷を持つ人たちが多かったのではないかと思います。しかし、その傷をつくるような、人を傷つける言葉があなたたちを汚すのではない、「汚れている」という言葉は、決してあなたたちを汚すことはできないのだ、ということもまた、イエスさまは言われたかったのではないでしょ うか。人間を汚すものがあるとしたら、それは人の中からでてくるものである。みだらな行ない、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである、と21節に記されています。心の中から出て来るものによって、その人自身が汚れてしまうということが言われているのではないでしょうか。汚れ、ということをいうならば、その人自身の中から出て来る悪しきものがその人自身を汚すのである、というのではないかと思います。
外側にあるもの、食べ物であるとか、職業であるとか、性別であるとか、どこの国の人間であるとか、どこで生まれたとか、そういったことによって人間が汚されることはないのです。ただ、人間の心の中から出る悪い思いだけが、その人自身を汚していくのです。
人間の心の中から悪いものも出てきますが、良いものも出てきます。人間の心の中から出て来る良いものは、その人自身を高め、そして周囲を光で照り輝かせていくのではないだろうかと思わされます。私たちの心の中からどのようなものが出ているでしょうか。もし、自分の心の中から悪いものが出ていると気づいた時には、素直にそれを認め、神さまの前で真の悔い改めをなし、心の中から良いものが出て来るように祈り求めていく者でありたいと思います。
2023年9月10日 聖霊降臨節第16主日 平島禎子牧師