現在、日本の多くの教会では、新共同訳聖書が使用されています。使いやすくなった面も、もちろん多くありますが、ときどき、「ああ~」と、思ってしまうこともあります。
今日の聖書は、私の中では、「愛の帯」のところでした。それで今回も「帯」からいろいろと連想し、「連帯」が浮かび、復権の塔の「連帯と尊厳」や、四国教区の自立連帯献金などを思いめぐらせました。「きずな」はとても美しい言葉ですが、それ以上でも、それ以下でもありません。「帯」は、ひとつの物を表すことばですが、だからこそ、そこからいろいろな豊かなイメージを膨らませることができます。
今日の聖書は、コロサイの信徒への教えですが、時代を越えて、現代を生きる私たちにも当てはまる、普遍的な在り方を教えてくれます。「憐れみの心」から「寛容」まで、忙しい現代人こそ身に着けなければ、と思います。そして最後に「赦し合う」ことが挙げられています。さらに、より身に着けるべきものとして「愛」が挙げられます。逆から考えると、先に挙げられていたものは、ところどころ不十分であったとしても、赦し合い、そして最終的に愛し合うならば、それらのものはすべて覆われ、また昇華されるのかも知れません。
最後には「キリストの平和」と「キリストの言葉」が記され、「感謝」という言葉が繰り返されています。フィリピ4:7には「人知を超える神の平和」と記されています。信仰者は、人間の思い描く平和を超える、神の平和を信じて生きる者でありたいと思います。そして、人間の言葉ではなく、キリストの言葉を自らの内に豊かに持って、あらゆることに感謝しながら生きたいものです。
暗雲が重く立ち込めているような今の時代の中にあって、それでも私たちは福音の光を掲げ続けて行きたいと思います。今日の聖書にあるように、一人ひとりが神の愛に満たされ、そしてその人たちが集う教会が愛で満たれ、さらにその交わりが外の世界へと大きく広がって行く時、愛は、こだまし、連帯し、この世が愛の世界へと変えられて行くのではないかと思います。
まずは、小さなところから、自分の周りから、少しずつ愛の連帯を広げて行く歩みを、イエスさまに従って一歩ずつ進めて行く者でありたいと思います。
2023年9月17日 聖霊降臨節第17主日礼拝 笹井健匡牧師