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「新しい地」   ヨハネの黙示録21章1~4節

 西日本豪雨から1年が経ちました。今もなお、大きな悲しみの中にある人たち、また懸命に前を向いてすすんで行こうとしている人たちに心を寄せて、今日の礼拝をささげたいと思います。
 今日の聖書を記した著者は、おそらくイザヤ書65章17節以下を思い浮かべていたと思われます。それはバビロン捕囚から帰って来たイスラエルの主だった人々が、エルサレムに残っていた人々、サマリア人たちとたたかいながら、自らの精神的支柱としての神殿再建に取り掛かり、見事第2神殿を完成させ、そしてメシア王国が到来するのをひたすら待ったときの預言です。しかしそれは実現しませんでした。そんな、歓喜から失望へと落とされたイスラエルの民に、新しい希望を語ったのが第3イザヤでした。「地」だけではなく、「天」まで新しく創造される、と言うのです。完全な新しい世界が実現し、喜びに満ち溢れる、と預言されているのです。
 今日の黙示録の著者は、今こそ、今度こそ、完全なる新しい世界が実現する、との確信を得たのです。エルサレムもあたらしくなり、そしてイエス・キリストが再臨する、と預言しました。彼ら彼女らが、いかに厳しい時代を生きていたかは、4節の「涙をことごとく」という言葉によく表れています。それまでさんざんな目に遭ってきたが、「もはや悲しみも嘆きも労苦もない」のです。
 私たち日本列島に住む者は、古代より多くの自然災害に苦しめられて来ました。そしてそれは残念ながら、これからも続いて行くでしょう。しかしその時、思いもかけない苦しみに遭った時、どのように生きることができるか、で、ずいぶんかわるものだと思います。自分が信じる神さまが共にいて、そしていつの日か必ずや新しい希望の地をくださる、と確信していたならば苦しみを耐え抜くことができるかも知れません。自然を支配してきた、西洋的な考え方と、自然に翻弄されながらもそこから恵みをいただき、感謝して、また立ち上がって生きなおすことを繰り返してきた私たちの経験、そこに、すべてを支配される全能の神への信仰が加わる時、人はどんな困難に遭おうとも、希望をもって生きて行くことができるようになるのかも知れません。
 どんな状況であろうと、どんなに絶望的に思えようと、必ずや神さまは新しい地を与えて下さる、との強い信仰に立ち、悲しみ、喜びを共にしながら信仰の道を互いに支え合いながら歩んで行きたいと思います。 

2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日礼拝 笹井健匡牧師

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