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「魂の声」 ローマの信徒への手紙7章1~6節

 2年前に召天されたF教授(厳密には宣教師)には、説教(実習)と牧会を学びました。牧会学の授業で強調されていたのは、魂のケアでした。一般的なカウンセリングと共通する要素もありますが、心のその奥にある、魂の部分のケアをして行くことの大切さと難しさ、そして喜びについて教わりました。

 今日の聖書でパウロは、律法ではなく福音に生きることを、たとえを用いて説明しています。1~3節は、少しどうかと思うたとえですが、律法を夫にたとえ、キリストを「他の男」にたとえて説明します。そして4~6節前半では、キリストによって、律法に対して死に、律法から解放されたことを力説するのです。

 そして最終的に、古い生き方、つまり律法は文字に従う生き方であり、新しい生き方、つまり福音は霊に従う生き方だと言います。

 赤ちゃんは、生まれた当初、泣いてばかりいます。やがて笑うようになり、声を発するようになり、その声が言葉となり、成長して文字を覚えていくようになるのです。文字というのはそういう意味で、かなり後からのものです。人類の歴史を考えてみても、文字はやはり相当、後からのものです。

 はじめに神さまの思いがあり、その思いが言葉となってアブラハムに告げられました。それからかなりの後に、モーセを通して、石板に刻まれた文字としての十戒が与えられたのです。それが律法の始まりです。律法という文字の限界をたびたび預言者たちは指摘します。そしてエレミヤにおいてついに律法は文字から心に帰ります。(エレミヤ31:33)

 イエスさまは、それをさらに霊、つまり魂まで返されたのです。それによって、神と人との関係は、文字という理論的な(理屈)冷たい関係から、魂という根源的な温かい関係に変えられたのだと思います。本来神と人間は、文字の契約以前に、霊と霊、魂と魂でつながっているものだからです。

 先の戦争に思いをいたす時、多くの、おびただしい数の無念の死を遂げた魂たちのことをも思い起こします。その声に耳を傾ける者でありたいと思います。そして同時に、現代もなお行われている戦争、また災害や疫病のため、苦しみうめく魂の声を聴き、その救いを祈り、イエスさまが約束された平和な世界が実現するように、信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

 

2024年8月18日 聖霊降臨節第14主日礼拝 笹井健匡牧師


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