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「献 身」 ローマの信徒への手紙12章1~2節

 1987年7月11日(土)、7月12日(日)に、世光教会で行われた榎本栄次牧師の講演と説教を聞いて、召命を受け、献身の思いを与えられ、すぐに、会社に辞表を提出しました。

 私にとっての献身は、青天の霹靂のような事件でした。プロテスタント教会は万人祭司ですから、最初の献身は洗礼を受けた時だったかも知れません。あの時が、最大の生みの苦しみだったのかも知れません。受洗を決意した後、3回も、やっぱりやめよう、と思い教会に行くのですが、礼拝の話を聞いていると、なぜか洗礼を受けていい、受けなさい、というメッセージに聞こえました。3度も拒んだ私をイエスさまは許し、洗礼を授けて下さいました。

 今日の聖書は、ユダヤ教からキリスト教が誕生し、その信仰生活の中心となる礼拝について、簡潔に、しかし核心をついて奨められています。

 1節に「こういうわけで」とあります。ローマの信徒への手紙では、1章から11章まで、キリスト教の信仰について、いろいろな角度から説明がなされています。それを受けて、この12章から、パウロの経験から信仰生活について奨めを語って行くのです。

 自分の体を献げて生きるというのは、ユダヤ教時代にあった動物を生贄として献げることをやめ、その代わりに、自分自身を、つまり自らの生き方、生活、人生を神に献げ、イエスさまと共に生きて行く、ということだと思います。そして、そのような礼拝を中心にして、今度は2節にあるように、自己を変革して生きて行く、そうすることによって、神に喜ばれる豊かな人生を歩んで行くことができるのだと思います。

 皆さんも、それぞれに、それぞれの在り方、生き方で、献身をされていることだと思います。しかし残念ながら献身したから、もうそれで大丈夫ということはありません。私たちは、弱く、欠けの多い存在です。よく言われるように、悪魔は、神に近づこうとする人間をこそ、神から遠ざけようとします。

献身は始まりです。だからこそ私たちは、毎週日曜日に教会に集い、礼拝をささげ、信徒の交わりによって弱さを強められ、互いに祈り合い、励まし合い、助け合って生きて行くのです。

私たちの救い主であるイエスさまに従って、イエスさまと共に、最後まで献身の人生を全うして行きましょう。

 

   2024年7月21日 聖霊降臨節第10主日礼拝 笹井健匡牧師


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