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「新しい一歩」 ヨハネによる福音書1章1~5節

 新しい年、2024年を迎えました。1日には能登半島で大きな地震があり、2日には羽田空港で大きな事故があり、心が痛い年明けとなりました。祈。

 疫病、戦争、地震(自然災害)は、古代からいつも人類を苦しめて来ました。2020年から新型コロナが、2022年からは戦争が。2024年からは地震をはじめ、自然災害に気をつけたほうがいいのかも知れません。

 イエスさまは、約2000年前、同じような、いやさらに暗い世に、希望の光として誕生されました。ヨハネは、創世記を念頭に置きながら、ギリシャ哲学の「ロゴス」の命、つまり生きたものとして、そしてその生命力によって、この世の闇を照らす光として、イエスさまを描きます。

 イエスさまご自身も、繰り返し(8:12、9:5、12:46)自らのことを「世の光」と言われています。教会もそのことを大切なメッセージとして伝承し、あの「光の子」(エフェソ5:8)という自己認識が生まれました。私たちは、光であるイエスさまを信じる、光の子です。闇が深まれば深まるほど、光はその輝きを増し、その役割は大きくなるのです。

 筑豊の宮田教会に居た時、一度だけ坑道に入ったことがあります。黒川抗という試験抗ですが、教会学校の子どもたちと、保護者と一緒に入りました。終わったあと、いつもは元気な子どもたちが、ぐったり疲れ、暗い顔をしていたことを今でもよく覚えています。

 闇の中を生きるのはとても大変です。想像以上に疲れます。そんな厳しい状況にあった人々の、救いの希望となったのがイエスさまでした。

手さぐりの時代、また多くの闇が世を覆っている時代、なかなか前に進む勇気を持つことが難しい面があります。しかし私たちイエスさまを信じる者は、足元を主の光で照らしていただいています。遠く、先の方を見通すことはできなくても、主の光のもと、まず一歩、踏み出すことができます。そこから、次の一歩、そしてさらに、一歩と、少しずつ前進して行くことができるのです。

 厳しい状況下にある人々のことを覚え、祈りを熱くしましょう。そして必ず道は備えられ、乗り越えて行くことが出来ることを信じて、顔を上げましょう。

新しい、はじめの一歩が、次の一歩につながって行くことを信じ、イエスさまの光をしっかりと見つめて、生きて行く一年にしたいと思います。

 

     2024年1月7日 降誕節第2主日礼拝 笹井健匡牧師


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