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「イエスとの出会い」 ヨハネによる福音書1章35~51節

 1月8日(月・休)午後9時52分、平島禎子師の父が亡くなりました。翌日から12日(金)まで、葬儀のため福岡へ帰省しました。火葬を終えた後、降り続いていた雨が一時的に止み、雲間から太陽の日差しが降り注いだのを見て、私は個人的に大変慰められました。(児島教会礼拝堂に立つ姿を思い出します。)

 今日の聖書は、ヨハネ福音書が記す、最初の弟子たちです。他の3福音書では、4人の漁師が最初の弟子です。(5人目に徴税人を弟子にしておられます。)

ヨハネでは、アンデレと名もなき弟子、ペトロ、そしてフィリポとナタナエルの5人になります。

 アンデレともう一人の名もなき弟子は、もともと洗礼者ヨハネの弟子でした。二人は、ヨハネの紹介というか、お墨付きというか、つまりはヨハネを通して、イエスと出会ったと言えると思います。

ペトロは、直接的には、兄弟アンデレを通してイエスと出会いました。しかしおそらくは、洗礼者ヨハネのところに通うアンデレに、以前から刺激を受けながらも、何かしかの違和感というか、「違う」という感じをペトロは洗礼者ヨハネに抱いていたのかも知れません。イエスがジャストミートだったのです。

 フィリポはアンデレとペトロと同郷でした。もしかしたら二人とは、旧知の仲であり、彼らと同じようにメシアを待ち望んでいたのかも知れません。

 ナタナエルはおそらくフィリポと親しい友人であったと思われます。もっと言えば二人は一緒に聖書を読み、祈る仲だったのかも知れません。さらに言えばナタナエルは、カナ出身であり(21:2)、ヨセフのことを知っていたかも知れません。フィリポの強いリードで、ナタナエルはイエスと出会えました。

 私の場合は、教会においてキリストと出会い、洗礼を受けてから数年後にやっとイエスと出会うことができました。もちろん復活の主イエスです。もしかしたら多くのクリスチャンがキリストに出会い、キリストを信じて生きていくようになって、人生の転機に、危機にある時、強烈な、復活の主イエスとの出会いを体験するのかも知れません。そしてそこから、新しい人生を生きるのです。

 イエスさまと共に生き、宣教をなし、一緒に食事を、生活を共にした弟子たちのようにはいきませんが、私たちも聖書を通して、また礼拝、祈り、奉仕等を通して、復活の主イエスに出会い、心新たにされて、イエスさまと共に新しい人生を歩んで行きたいと思います。

 

   2024年1月14日 降誕節第3主日礼拝 笹井健匡牧師


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