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「移動する神」 民数記10章33~35節

 私たちは「神さま」と言えば、通常「天」を思い浮かべ、そこにおられる存在だと思うのではないでしょうか。しかし、先週礼拝で取り上げました聖書の個所にあるように、私たちが信じる救い主イエスさまは、ガリラヤの町や村を移動して、宣教されました。また旧約の神も荒れ野でイスラエルの民と共に歩まれたのです。
 今日の聖書には、突然、「契約の箱」が登場します。言うまでもなく、モーセの十戒、あの石の板が納められた箱です。
 直前の29~32節を見ると、義兄のホバブにモーセは頼ろうとします。そのことがどうなったのかは、記されていませんが、今日の聖書では、主の契約の箱が先頭に立って、天幕を張って宿営する場所を探した、とあります。つまりその後でモーセが祈っているように、神ご自身がイスラエルの民を導き、荒れ野での日々を守られたことが分かります。
 旧約においても、神さまは、天に座しておられるだけではなく、時に応じて地に降り、その大いなる力によって、40年に及ぶ荒れ野の旅をイスラエルの民は無事に乗り越えることができたのです。いろいろ問題はありましたが、重要なのは、神が先頭に立って、この地上を移動して、人間を導かれる、という点です。
 イエスさまも同じように、ガリラヤの町や村を巡られました。つまり、私たちが信じている三位一体の神は、神の方から人間の方へ来て下さる、ということです。人間が脊を向けていたとしても、… 。
 復活の主イエスも、同じように私たち一人ひとりのところに来て下さる方です。たとえ私たちがそっぽを向いていたとしても、忘れていたとしても、神さまの方はいつも私たちを見守って、そして導いて下さっているのです。
 コロナに翻弄されている私たちですが、そのことだけは、しっかりと覚えて、常に守りと導きを与えて下さる神さま、必要に応じて、どこからどこまででも、移動して働かれる神さまを覚えて、信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

            2020年7月19日 聖霊降臨節第8主日礼拝 笹井健匡牧師

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