• 記事検索

RSS

「信仰者の希望」 ローマの信徒への手紙5章1~5節

「信仰者の希望」ローマの信徒への手紙5章1~5節

今日の聖書は、苦難~忍耐~練達~希望で、有名な箇所です。この中にも愛唱聖句の方がおられるかもしれません。しかし今日は、あえて、最初の1,2節を中心に考えてみたいと思います。というのも、今を生きる私たちにとって「希望」はいったいどういう意味を持つのか、と思うことが多いからです。-中略-
 人間は、希望なしには生きることができない動物なのかも知れません。絶望したとき、すでに人間性を奪われている状態、鬼の状態と言えるのかもしれません。人間であり続けるために大事なこの希望を私たちは、神の愛から与えられているのです(5節)。そして、その根拠は、神との間の平和だとパウロは言います。人間は、その人生を終えるまでに、神と平和な関係、つまり和解しなければならないのです。そして、それができたなら、周りの人々、他者と和解し、最後は自分自身と和解することによって、真の平和な人生が完成するのです。
 しかし、現実の世の中は、なかなかそう簡単にはいきません。だからこそ、神さまは、そんな私たちのために、主イエスをこの地上に送り、私たちが神と和解し、神と平和な関係を実現する道を開いてくださいました。これこそ、何にも代えられない、もっとも大きな神の愛であり、恵みであります。
 今の時代を思うと、心が暗くなりがちですが、だからこそ、私たちは心を高く上げたいと思います。すでに、もっとも困難な神さまとの平和を実現させていただいた者として、隣人との間に平和を実現し、そして、最終的には、自分自身との間にも平和を実現することによって、たとえ不完全ではあっても、キリストの香りを少しでも放つことができるように信仰の歩みをすすめたいと思います。
 神の愛がわたしたちに注がれている以上、希望はわたしたちを欺かない。この確信があれば、どんなに道が遠く見えようとも、どんなに急な坂に見えようとも私たちは、先立たれるイエスさまを道しるべとして、希望を失わずに前にすすんで行くことができるのです。反省だけなら「猿」でもできます。あきらめることは、「死ぬ直前」までとっておくことができます。
 神さまから与えられた、それぞれの賜物を生かし、命ある限り、信仰者の希望を胸に、神さまの愛を受け、イエスさまに導かれながら、それぞれの信仰の道、
人生の道を歩んで行く者でありたいと思います。

2016年7月24日 聖霊降臨節第11主日 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):