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「信仰の花」 マタイによる福音書5章9節

「信仰の花」マタイによる福音書5章7節

 1992年8月7日、私の祖母が亡くなりました。大変苦労の多い人生でしたが、子どもたち、そして孫の私たちをとても愛してくれました。おかげで、わたしの父も、まっすぐに育つことができたのだと思います。
 今日は6日の広島と9日の長崎の間の日です。いやがおうにも平和のことを思わされます。今日の聖書は、イエスさまのいわゆる「山上の説教」の冒頭部分ですが、8節までは、当時の人々の状態、英語で言う状態を表す「Be動詞」の人たちの姿を「幸い」と言われています。しかし、今日の9節は「平和を実現する」と行為に対して「幸い」と言われています。英語で言う行為を表す「Do動詞」の人たちの姿を「幸い」と言われているのです。
 これだけ、つまり9節だけ読んでいると、ああそうか、いいなあ、で終わってしまいますが、しかし9節の後には、10節、11節、12節の「迫害」がセットになってついて来るのだとイエスさまは言われたのだと思います。
 「神の子」という、本来イエスさまを表す畏れ多い呼称が使われているのも、
その平和を実現する人々が、旧約の預言者のように、厳しい迫害を受けるからこその、名誉ある称号なのだと思わされます。
 今の日本は、一見平和に見えますが、今回の組閣によって、首相に「ノ―」と言える政治家は「0」となりました。リーダーをイエスマン、イエスウーマンが取り囲んだとき、何が起こるか、それは歴史が私たちに教えてくれている通りです。これからの私たち主イエスをキリストと信じる信仰者の歩みは、非常に大変で、かつ大切だと私は思っています。
 聖書を貫いている一貫とした信仰は、「残れる者」は少数である、ということです。しかし、神さまはその人々を守り、導き、用いて、人類の歴史を今日まですすめて来てくださいました。特に、私たちはイエスさまと、そしてペンテコステ以降の弟子たちの受難を知っている者です。しかも、2000年前と違い、教会の外にも、多くの、平和を愛し、実現しようと日々がんばっておられる方々が
大勢います。
 平和を実現することは、私たちに信仰者にとって、信仰の本質に関わる事柄であり、そして、言わば信仰の花を咲かせることだと思います。イエスさまに従って、平和の花を咲かせることができるように、祈りを熱くしつつ、まずは自分の周りから、そして属する集団、社会から平和を実現して行く者となりたいと思います。
2016年8月7日 聖霊降臨節第13主日 平和聖日 笹井健匡牧師

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