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「裁き合うのではなく」 ローマの信徒への手紙14章13~23節

「裁き合うのではなく」 ローマの信徒への手紙14章13~23節

 折り鶴の少女で有名な佐々木禎子(さだこ)さんは、2歳の時、広島で被ばくしました。7歳の時<熱の出ない肺炎>にかかったものの一命をとりとめ、その後は元気に成長し、特に足が速く、運動会のリレーではクラスを優勝に導くほどでした。しかし、そんな禎子さんに異変が出たのは12歳の時でした。原爆症である白血病が発症したのです。8月に禎子さんの病院に千羽鶴が送られてきて、千羽鶴を折れば願いがかなうと聞き、禎子さんは鶴を折るようになりました。その数は1500羽ともいわれています。しかし、その願いもむなしく、1955年10月25日に禎子さんは家族と友人に看取られ、12歳で天国へと旅立っていきました。その禎子さんを忘れないようにと、同級生たちが禎子さんの像を立てることを思いつき、先生たちも協力し、そしてその輪が広がっていき、1958年に「原爆の子」の像の除幕式が行われました。この像は禎子さんをモデルとした像でありますが、原爆で亡くなった全ての子どもたちのための像でもありました。禎子さんのお兄さんは、「禎子は入院中、痛い、苦しい、助けて、ということを一度も言いませんでした。そして、原爆を落とした国についてうらみがましいことを口にすることはありませんでした。戦後70年が経過しようとする今、過去の戦争の過ちは決して忘れてはなりません。これから先に大事なことは、お互いを認め合い、そしていつくしみ愛おしむ<おもいやりの心>をつなげて、人々の間に心の輪を広げていくことでしょう。その小さな思いやりの芽こそ禎子が折り鶴と共に私たちに残してくれたものだと思うのです。」と言われています。素晴らしい言葉だと思います。「憎まないが忘れない」という心を持ちながらも、恩讐を越えて、互いに思いやりを持つことが大切だと思わされます。
 今日の聖書の冒頭に「もう裁き合わないようにしよう」と記されています。当時のローマ教会の中では食べ物の対立ということが起きていました。17、18節には、「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」と記されています。「飲み食い」を「主義主張」に置き換えますと、「神の国は主義主張ではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」と読むことができるのではないでしょうか。自分の「主義主張」ではなく、聖霊によって与えられる「義と平和と喜び」を求めて生きていく、平和や互いの向上に役立つことを追い求めていく、そのような生き方を私たちは志していかなければならないのではないでしょうか。いくら正しいことでも、自分の正しさをもって相手を裁くということは神さまの御心に反することであると思います。
 戦後71年を明日迎えます。現在の日本が戦争への道を歩み始めている、もはや戦時下だという人もいます。オリンピック、甲子園でわいている世の中ですが、沖縄では高江でオスプレイのためのヘリパッド建設工事が住民の反対を押し切ってなされています。また辺野古についても国が沖縄県を訴える裁判を起こしました。沖縄の米軍基地の強化がなされていることを思います。また、安保法制違憲訴訟も東京を始め、全国各地で、そして岡山でも起こされています。私は全国(東京)の原告となり、笹井先生は岡山の裁判の原告となりました。戦争への道を止めなくてはならない、と思わされます。しかし、相手を裁くのではなく、禎子さんが病床で希望をもって鶴を折り続けたように、私たちもあきらめずに鶴を折っていくような地道な行動をしていかなければならないと思わされます。そのためにも、身近なところから裁き合うのではなく、平和や互いの向上のために役立つことを追い求めていく、そのような者となれるように祈る者でありたいと思います。

2016年8月14日 聖霊降臨節第14主日 平島禎子(よしこ)牧師

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