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「バベルの塔」 創世記11章1~9節

説教題「バベルの塔」 聖書:創世記11章1~9節

 今日は、世界聖餐日・世界宣教の日です。世界にある教会、またそこに遣わされている宣教師を覚える日ですが、今年はそれを越えて、世界に生きる人々、また世界で平和のために働いている人々を覚えて祈りたいと思います。
 今日の聖書に登場する人々はノアの子孫です。ですから同じ言葉を話していました。意志疎通もうまく行っていたのではないかと思います。しかし、そのような同じ言葉を話していた人々がやった行為が、天まで届く、バベルの塔を建てる、という行為でした。有名になり、散らされないようにしようと考えたようですが、その根っこにあったのは、「高慢」でした。「天まで届く」という言葉にそれが表れているように思えます。神さまは、ノアの子孫たちの、この思い上がった思いを打ち砕かれたのだと思います。
 私たち人間の世界を見ますと、これだけ地球市民とか、国境なき医師団とかそういうことがあっても、いまだ国家が大きな力を持っています。国家になっていく過程で、そこに住む人々の言葉は、一つにまとめられて行きます。日本の標準語がいい例です。それによって教育が発展し、文化が栄えていくのも事実です。しかし、そこに潜む、「高慢」を注意深く見張っていかなければなりません。もしかしたら、国家そのものが、バベルの塔になってしまうかも知れません。
 今日の聖書で、散らされた人々はこの後どうなったでしょうか。神さまは、ノアの洪水の後、人が心に思うことは幼いころから悪い、二度とほろぼさない(創世記8:21)と言われました。ですからこのバベルの塔のときも、滅ぼすことをされずに、散らされたのでした。いわば、執行猶予を与え、助けられたのです。しかし人間は、そんなことお構いなしに、おそらく散っていった先でも、同じようにバベルの塔を建てるという行為に向かっていったのではないでしょうか。また言葉をひとつにして、そして有名になり、天まで届くバベルの塔を建てようと、そういう歩みを今日まで続けてきたように思います。
 今、戦争への道を歩もうとしている私たちの国、そして世界が、もう一度、このバベルの塔の物語を思い起こさなければなりません。神さまは私たちを滅ぼされませんが、私たち自身が、自滅する可能性は大いにあるからです。
 今、必要なのは、私たち自身の手で、天まで届く塔を建てることをやめ、高慢とさよならし、平和で安心できる世界をこそ、祈り求めていく、歩みなおしていくことだと思います。平和の主、イエスの導きを乞い求めて生きる者でありたいと思います。

2017年10月1日 聖霊降臨節第18主日礼拝 笹井健匡牧師

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