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「目標を持つ」  フィリピの信徒への手紙3章12~16節

 あっと言う間に2月になってしまいました。40代の頃までは年賀状に「今年の目標」を記していました。数年前から「目標」がなくなり、「感覚」というか「予感」みたいなものに変わって来ました。年のせいかもしれませんが、だんだん「目標を持つ」ということが難しくなってきました。みなさんはどうでしょうか。
 今日の聖書のパウロの直接の目標は、「死者の中からの復活」(11節)です。強烈な終末信仰に生きていた当時のクリスチャンにとっては、終末が来たとき、神さまがイエスさまを復活させられたように、自分たちも「復活」にあずかることができるように、信仰の道を歩んでいたのです。
 広い意味では、そのことは現代でも同じです。礼拝においても信仰告白として信徒信条を告白しています。その中身は2千年前から続くものです。しかし、現実にこの世を生きる私たちにとっては、もっと身近というか具体的というか、今的な目標が必要なのかも知れません。
 教会では、年間標語、年間聖句を掲げて、その一年を共に歩もうとします。加えて一人ひとりも何らかの、共鳴するような目標を持つことができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
 1月は行ってしまいましたが、2月が逃げないように、もう一度自らの信仰の在り方を見つめ直したいと思います。そのためには、今日の聖書13節にある「後ろのものを忘れ」ることも大切なことなのかも知れません。いつまでも過去に囚われていると前にすすんでいくことができません。
 わたしは、たまにサイドブレーキをかけたまま、車をスタートさせてしまうことがあります。なんか重たいなあ、と途中で気づいてあわててサイドブレーキをはずすのですが、過去というのも、いつまでも引きずっていると、自らの歩みにブレーキをかけてしまうのかも知れません。
 もちろん、大切なことはしっかりと心に刻んで、しかし忘れていいこと、忘れた方がいいことは、さっさと後ろに追いやって、前へ、前へと歩んで行きたいと思います。そのためにも、何か新しい目標を持つことが大事なのかも知れません。
 そしてその目標の先にある、真の目標、神さまが定められているゴールを目指して、共に信仰の歩みを前に進めていきたいと思います。
 
2019年2月3日 降誕節第6主日礼拝 笹井健匡牧師  

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