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「苦難から希望へ」  ローマの信徒への手紙5章1~5節

 私たちはだれでも幸福になりたいと思っています。また周りの人たちも幸せであるように、とふだんは思っています。しかし、そんな私たちの思い、願いとは、源をたどれば現実の人生において幾多の苦難があるからかも知れません。
 言い方を変えれば、いろいろな苦しみ、悲しみ、痛みのある人生を、どのようにして生き抜いて行くのか、そこで登場するのが希望なのかも知れません。
 今日の聖書は、非常に有名な個所です。苦難が最終的に希望を生む、とパウロは言うのです。単に、理論的な言葉ではありません。彼自身が何度も何度も死ぬほどの苦しみを乗り越えて生きて来たからこその言葉です。だからこの言葉は非常に説得力があるのだと思います。
 前後を見てみますと、1節には「神との間に平和」が得られていることが記されています。それまで神に背き、あるいは反抗して、無視して生きて来ていたとしても、イエス・キリストを信じる信仰によって、神さまとの間は平和にされているのです。
 5節にはその神さまから、愛が注がれていることが記されています。私たち信仰者は、神さまと平和な関係にあり、そして神さまからその偉大な愛を注がれている存在なのです。
 しかし、苦難から一足飛びに希望へと至るわけではありません。まずは忍耐をしなければなりません。これは意外と口で言うほど簡単ではありません。さらにその先には、忍耐を続けることによって、練達に達しなければなりません。忍耐しつづけ練達にまで、というのはさらに大変だと思わされます。しかしその先に希望が待っているのです。
 今の状況が、たとえどんなに困難に思えても、神さまを信じ、イエスさまに従って、その、言わば自分の十字架を背負って行くならば、必ずその先には希望があることを、困難から希望へと変えられることを覚えていたいと思います。
 受難節のこの時、少しでも克己の生活を送り、イースターの日を喜びを持って迎えることができるように、希望を持って歩んで行きたいと思います。

2019年3月17日 受難節第2主日 笹井健匡牧師

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