• 記事検索

RSS

「地の塩」 ルカによる福音書14章34~35節

 今日で聖霊降臨節が終わります。次週からは降誕前となります。聖霊の導きをどれだけ感じて歩めたか、自分自身を振り返って、そして喜びの日、クリスマスまでの降誕前にすすんで行きたいと思います。
 塩田で栄えた歴史を持つ児島の方々はもちろんですが、専売公社の時代があったことからも分かるように、塩は大変貴重で大切なものでした。多くの、他の動物は岩(岩塩のように塩分を多く含む)をなめたりして今でも塩を摂取します。人間は塩を取り出すこと、さらには生み出す?ことに成功し、食品コーナーにはいろいろな塩が陳列されているのが現状です。
 しかし塩害という言葉があるように、マイナスの面も併せ持っています。海に車で行った後などは、錆びるからよく洗車することが昔はありました。また最近のニュースでも台風などによる被害が多く報告されています。
 しかし、今日の聖書を見ると分かりますが、塩は本来、畑、肥料として古代から重宝されていたことが分かります。その濃度や使用法がいろいろとあるのだと思いますが、聞くところによると現代でも、それは同じだそうです。
 マタイによる福音書5:13以下には、有名な「地の塩、世の光」の言葉が記されています。イエスさまは私たちに対して「地の塩」たれ!と言われているのです。今日の聖書だけでは分かりにくいですがマルコによる福音書9:49以下を見ると神さまは私たち信仰者に塩味をつけられていることが分かります。自分では気づかなくても周りの人たちから見れば、それが分かるのかも知れません。信仰者らしさ、と言い換えることができるかも知れません。もちろん、私たちは信仰をもっているからと言っても、何か特別すごい人間なのではありません。しかし、他の人から見れば、どこか少し違う、何かちょっとでもキラっと光るものをもっているのが信仰者なのかも知れません。
 イエスさまに出会うことができ、自らの救い主として信じる事ができた、真の主なる存在をもっている、というところが、私たちの「強み」(塩味:えんみ)なのかも知れません。
 不透明なことの多いこの時代の中にあって、神さまからいただいた「塩味」を大切にしながら、主イエスを信じて、地の塩として、最後の最後まで生き抜く者でありたいと思います。

2019年10月20日 聖霊降臨節第20主日礼拝 笹井健匡牧師

10月27日は都合により説教要旨はお休みです。

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):